村田森展
会期: 2012-07-07 - 2012-07-09
参加クリエイター:
展覧会詳細
展覧会ジャンル:
クラフト
展覧会タグ:
陶磁
開催内容
ごあいさつ
村田森さんは京都に生まれました。大学でやきものを学んだあと、修行時代を経て独立し、「村田製陶所」の看板を掲げ、京都の食文化を支える器を問屋に納める仕事をはじめました。その後、見えない何ものかに駆り立てられたように、やきものに向かい、作り手「村田森」として作陶にはげみ、こんにちに至ります。
いま、村田森の作る器は多くの人を魅了しています。なかでも天賦の才が見事に生かされたのは絵付の器でした。その絵柄は身近なものを題材とした大変あたたかなものです。最近では仏シリーズや、紳士淑女の風刺など、筆の味わいはいよいよ批評精神に富み、洒脱で、軽快、飄々、生き生きとした絵柄が器のうえに息づいています。
染付、白磁、粉引き、黒軸、三島・・・。作風は多岐にわたります。ひとりの作り手が生み出す域を超え、関心が向くまま情熱的に作品は生まれてきます。ときには導かれるような出会いが、その後の作品に影響を与えることもしぱしばです。たとえば、展覧会で九州へ出向いた折に立ち寄った唐津では、想像力を駆り立てる美しい陶片に出会い、士の器への想いを強くします。そして思います。「唐津にやきものの土があるように、京都にも土があるはずだ」と。そして、唐津より京都に戻った翌日から、地質の地図を手に土を探し、釉となる石を探しはじめます。自ら掘った土を水肥し、石を除き時間をかけて「土づくり」をします。その土で轆轤をひき、探し当てた長石を砕き、釉薬とし、それらのオリジナルの材で器を作り、薪で焼成します。それらの仕事は、あらゆる手軽さを排除し、本質に向かおうとするものです。突き動かしているのは「よい器を作りたい」、その一言に尽きます。そして、気の遠くなるような地道な仕事に邁進します。一方、古いやきものに心を通わせ、手を動かします。「型ひとつ取っても、なぜこんなに複雑なことをしているのだろう」古染や、古伊万里など、古(いにしえ)の陶人がひたむきに取り組んだ仕事に敬意を払い、熱心に「写し」ます。
「写し」という仕事は、はじめから、勝負が見えている仕事と言えなくもありません。自身が「土を探して焼くはうが楽かもしれない」と語るほど、根気がいる仕事です。こうした「写し」の仕事を辛抱強く続けることは、目に見えぬものとの闘いであり、寄り添いでもあります。やきものは「こわさ」と向き合う仕事です。古いものはそこに在り、常にこちらを見ています。それらの眼から逃げず、奮い立ち、対峙し、寄り添い、心を許す。やきものに向かう人の背中に一本の、清らかな筋を見るのはそんなときです。村田森の器には、こわさと闘い、向き合った者がその「こわさ」をも味方し、「オリジナル」に向かうときの強さと、気高さを感じます。そして、このことが肝要なのですが、生み出される器には色気があり、チャーミングで、どの表現においても慣習に縛られない「明るさ」を有している。このことは、器そのものが作り手である、ということを、わたしたちに提示しているのではないでしょうか。静かで、なんとも言えない佇まいがある器のひとつひとつに、やきものへ向かう情熱「せずにはいられない衝動」、こころ、からだ、時間、作り手の「いま」が見事に映し出され、胸を打つのです。
今回、本展に向かうため、これまで使い慣れた薪窯をつぶし、開口部の大きな新たな薪窯を造りました。鎌倉の地でこのたびご覧いただくのは、新たな窯で焼成した器を中心に、白磁、染付、粉引、刷毛目、そして黒高麗、井戸、彫三島、韓国陶磁の旅から熱心に取り組んだ壷、大壺など、「村川森」が取り組んできたすべて。美しいやきものの仕事です。
ぜひ、お出かけになり、ご高覧賜りますようお願い申し上げます。
平成24年6月 うつわ祥見 祥見知生