古賀絵里子 個展『一山』
会期: 2013-04-05 - 2013-04-30
参加クリエイター:
展覧会詳細
展覧会ジャンル:
写真
展覧会タグ:
レセプションパーティー
写真
開催内容
この度 EMON PHOTO GALLERY では、古賀絵里子による個展『一山』を開催致します。
前回の初個展「浅草善哉」から約5年、それから数年をかけて高野山へ通い、撮りためていた待望の最新作となる本展は、彼女の写真家としての、また高野山という特別な場所への並々ならぬ想いが詰まった力強い作品たちです。女人禁制でもある聖域、高野山の奥へとはじめて女性写真家としてカメラを向け、その懐に抱かれながら彼女が見つめ感じたものとは。ちょうど高野山という地にとっても1200年という節目の記念すべき年に、満を持して発表いたします古賀絵里子の「一山」を、ぜひご高覧ください。
2013.02 EMON PHOTO GALLERY
『一山』
2009年夏。”Happy maker”というアートイベントで写真展を開くため、はじめて高野山を訪れた。そして、そこで過ごした二週間は、決定的に私の心身に鳴り響き、写真家として深い意味を持つことになった。処女作『浅草善哉』を撮り終えてから、次のテーマを希求していた当時。下山して、東京の日常へ戻ってからも、どうしても高野山が心と頭から離れなかった。すでに聖域としてのイメージは世の中に十分知られている。でも、私が生で掴んだ高野山はそれとは違うものだった。継承された聖域としての面がある一方、そこにはあたり前の暮らしがあった。生き生きとした命があると同時に、見えない力が感じられた。観念を捨てた、印象のままの高野山をどう写真で表現するか。困難な道に違いない。何を撮っていいかも、何が撮れるかもまったく分からない。でも高野山に惹かれている。ただ、その気持ちに忠実になろう。そう決めて、高野山通いをはじめた。カメラ、フィルム、着替えとお土産でパンパンに膨らんだリュックを抱え、夜行バスに乗る。翌年からは山内にアパートの一室を借り、毎月一週間のペースで撮影を続けた。
「なぜそこまでして撮影に通うのか」と問われれば、「こちらが本気にならないと、相手も本気で返してくれない」と答えるだろう。人に対しても、自然に対しても、見えない力に対してもそれは変わらない。『浅草善哉』の時も同じスタンスで六年間、長屋へ通ったことを思い出す。続ける事で自分も相手も変化するし、その変化の過程にこそ驚きや成長、感動やシャッターチャンスが潜んでいる。そこを端折っては結局浅いものしか見えて来ない。対象と真剣に向き合う事、自分の心に忠実である事、続ける事、それらがものづくりの根幹にある。
自然を対象とした撮影を三年ほど続けているうちに、次第に行き詰まりを感じるようになった。写真に何かが足りない。高野山に惹かれ通い続けていられるのも、そこに暮らす人達が温かく迎えてくれるおかげだった。自分の中での決めごとが、目の前の大事なものを写真と切り離していた。そのことに気がついてから、対象を決めずに、自分が感じるものを写すようになった。『浅草善哉』で出会った老夫婦、善さんとはなさんには「人にとっての本当の幸せ」を、その存在や日常の暮らしから教えてもらった。高野山でも同じようにして、抱えきれないくらい大事なことを教えてもらっている。
結局、私にとって「写真」以前に「人」が在るのだと思う。人としてありたい。そう願う心が、自分に欠けているものを埋めるために、ある場所へ、ある人の元へ通わせるのだろう。自分が求めるものが目指す先にあって、対象の懐が深いほどのめり込んで行ける。それは信仰と同じようなものかも知れない。必死にあがくことでその都度、道が開かれる。意思を貫くには、精神的な強さと人の支えが不可欠なことも改めて学んだ。そして撮影を通じて、言葉にできない、でもまさに感じるものに「写真」として命を吹き込む。撮影、現像、暗室でのプリント作業。その繰り返しから、いつしか作品が生み出される。
高野山で誰彼ともなく口にする「お大師さまのおかげ」。ああ、これが本当の信仰というものなのだろうと、通い始めて四年目にして気がついた。2015年、空海が高野山に真言宗を開創して1200年目を迎える。『一山』に命を吹き込む事。それがお世話になった高野山への恩返しになればと願っている。
2013.02 古賀絵里子