巨匠ハインツ・ヴェルナーの描いた物語 ー現代マイセンの磁器芸術ー

開催概要

会期
2026年11月21日 〜 2027年01月31日
会場
細見美術館 (京都府京都市左京区岡崎最勝寺町6-3)
ジャンル
クラフト
タグ
磁器、マイセン

開催内容

 ヨーロッパを代表する名窯、マイセン。ドイツ、ザクセン州の古都・マイセンで18世紀に王立の磁器製作所として創業しました。ヨーロッパ初の硬質磁器に成功したマイセンは多くの名品を世に送り出してきました。
 1960年、創立250年を迎えたマイセン磁器製作所は、5人のアーティストによって新たな時代を迎えます。高度な磁器製作の技術と、「芸術の発展を目指すグループ」として活動した彼らの豊かな才能から生み出された新しい作品の数々は、極めて質が高く、まさに「磁器芸術」と呼ぶにふさわしいものでした。

 なかでも、アーティストのひとり、ハインツ・ヴェルナー(Heinz Werner1928–2019)は、夢の世界へと誘う魅力的なデザインによって、現代マイセンを代表する数々の名品を生み出しました。彼は、ドレスデン芸術アカデミーの分校として1764年にマイセン磁器製作所内に設立された養成学校で絵付けを学び、さまざまな名作のデザインを手掛け、のちにハレのブルク・ギービヒェンシュタイン美術大学より名誉教授の称号を与えられ、以後「ハインツ・ヴェルナー教授」として親しまれてきた人物です。

本展では、巨匠ハインツ・ヴェルナーが手がけた作品の数々を通して、現代マイセンの美しき磁器芸術と、そこに広がる豊かな物語世界をご紹介します。

[展示構成]
プロローグ 名窯の誕生

 千年以上の歴史をもつドイツ・ザクセン州の古都マイセン。マイセンの地に、熱心な東洋磁器愛好家であったアウグスト強王(1670-1733)が王立磁器製作所を設立したのは1710年のことでした。現在も美しく佇むゴシック様式のアルブレヒト城には、かつて150年もの間、磁器製作所がありました
 アウグスト強王が最初に目指したのは、「白い金」と称された白磁でした。マイセンの近郊には白磁の原料となる良質なカオリンがあり、中国の徳化窯(とっかよう)の白磁のような薄く純白な素地の再現に成功し、ヨーロッパ初の硬質磁器が誕生します。
 1720年代には「柿右衛門様式(かきえもんようしき)」の色絵を愛するアウグスト強王の願いが叶い、シノワズリ(中国趣味)の色彩豊かな絵付けにも成功し、1735年頃から西洋的な器の形とシノワズリの融合が実現しました。連綿とマイセンに受け継がれる西洋的な器の形と東洋的な意匠の融合をお楽しみください。


第1章 磁器芸術の芽吹き

 1928年、ドイツ・ザクセン州マイセンの近郊の町コズヴィッヒ。ここで、のちに現代マイセンを代表するデザイナーとなるハインツ・ヴェルナーが誕生しました。
 1943年、15歳の少年ヴェルナーは、ドレスデン芸術アカデミーの分校として1764年に設立された伝統あるマイセン養成学校に入学しました。入学後すぐに類まれな絵の才能を見いだされ、厳格な教育を受けたのち、早くも1950年代には絵付師として認められるに至ります。
 マイセンの製品は、ライプツィヒ・メッセ(ザクセン州ライプツィヒで開催される見本市)においてデザインが発表され製品化へと進んでいきます。ヴェルナーは、1958年のメッセにて装飾デザイナーとしてデビューしたのち、1960年にはマイセン創立250年にあたって伝統を守りつつも時代に即した新しい創造を生み出すべく立ち上げられた「芸術の発展を目指すグループ」の設立メンバーに選ばれました。
 本章では、若きヴェルナーのデビュー作から、「芸術の発展を目指すグループ」のひとりとして歩み始めた直後の1960年代初期の作品を紹介します。

第2章 名シリーズの時代

 1960年代のマイセンでは、「芸術の発展を目指すグループ」の発足の一方、マイセンの長い伝統を守った製品も求められていました。ヴェルナーは、かつてアウグスト強王の居城であったツヴィンガー宮殿に蒐集されたマイセンコレクション―その中でも絵付師ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト(Johann GregoriousHöroldt, 1696-1775)時代のものを熱心に研究したとされます。
 そして誕生したのが、ドイツで古くから親しまれてきた文学作品をモチーフとした《ミュンヒハウゼン》です。これをきっかけとし、ヴェルナーは1970年代後半にかけて、物語(メルヘン)からインスピレーションを得た代表作《サマーナイト》と《アラビアンナイト》、さらにはマイセンの自然描写に新風を吹き込んだ《狩り》や《ブルーオーキッド》を始めとした、新たなシリーズを次々と生み出します。
 本章では、夢溢れる世界が広がる数々の名シリーズとともに、ヴェルナーの直筆による陶板画なども紹介します。

第3章 光と色彩の時代

 1973年の日本と東ドイツの国交成立は、日本におけるマイセン製品需要が高まっていく大きな契機となりました。1975年、ついに初来日を果たしたヴェルナーは、日本の美しい風景に魅了され、その後も日本におけるマイセン展に伴いたびたび日本を訪れています。
 1980年代に入ると、ヴェルナーのデザインは具象を超え、生命力あふれる美しい色と線や面の共演となっていきます。花、雲、風、ジュエリーから男女の愛まで、多種多様なモチーフを踊るような筆致で描いた作品には、マイセンの内部からも「なんと若い感性か!」と感嘆の声が出るほどだったと言われています。こうした新たな表現を支えたのは、新たな窯の導入や彩色技術の開発などの、マイセンのたゆまぬ技術開発でした。
 1981年にはハレのブルク・ギービッヒェンシュタイン美術大学(Burg GiebichensteinUniversity of Art and Design Halle)より名誉教授の称号を与えられ、以後「ハインツ・ヴェルナー教授」として親しまれていくこととなります。
 本章では、円熟を見せつつも、常に新しい挑戦に満ちたヴェルナーの作品を紹介します。

エピローグ 受け継がれる意志

 1990年代になると、ヴェルナーはマイセン内でも若いアーティストの育成に力を注ぐ立場として、教え子たちとの共作をいくつも手がけています。
 1993年に65歳でマイセンを定年退職した後も創造へのエネルギーは全く衰えを見せず、翌年には彼の集大成とも言える《ドラゴンメロディ》を発表し、さらに1998年には勤続55年を記念して後輩アーティストたちと新作を発表しました。また、日本だけでなく、世界各国を訪れて様々なインスピレーションを受け、幻想的で美しい絵画やグラフィックも描き続けました。
 教え子に「マイセンの宝物」とも言われたヴェルナーは、2019年に91歳で逝去する直前まで、マイセンの新作発表カタログに名を連ねていました。
 本章では、彼の晩年を辿るとともに、現在のマイセンで活躍する、ヴェルナーの意志を継ぐ気鋭のアーティストたちを紹介します。

巨匠ハインツ・ヴェルナーの描いた物語 ー現代マイセンの磁器芸術ー