吉田璋也のデザイン ― 新作民藝運動がめざした未来
開催概要
- 会期
- 2026年10月15日 〜 2026年12月20日
- 会場
- パナソニック汐留美術館 (東京都港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4F)
- 参加クリエイター
- 吉田璋也
- ジャンル
- クラフト
- タグ
- 民藝、デザイン
開催内容
今から約100 年前、柳宗悦らによって「民藝(民衆的工藝)」の理念が提唱されて以来、その精神に共鳴した民藝運動は全国各地に広まっていきました。「民藝」は、今日では言葉として定着するとともに、ライフスタイルを見つめるキーワードとして、新たな関心を呼び起こし続けています。本展では、柳宗悦と同時代を生き、思想を継承しながら、先駆的な生活文化運動を展開した鳥取の医師、吉田璋也(1898‒1972)の活動に光を当てます。
吉田璋也は本業を耳鼻咽喉科の医師としながら、新しい民藝のデザインから、プロダクトの生産・流通・販売の仕組みづくりまで、“民藝のプロデューサー”として多彩に活躍しました。鳥取で医院を開業した1931年以降、地元の牛ノ戸焼の再興をはじめ、陶磁器・木工・金工・染織・和紙などの分野で職人たちと協働し、「新作民藝」の試作と普及に尽力します。柳が提起した美の標準に基づき、伝統的な手仕事を起点に現代の生活にふさわしい日用品をデザインする吉田の「新作民藝運動」は、販売拠点としてのたくみ工芸店や、蒐集品を展示する鳥取民藝美術館とともに具現化し、鳥取砂丘や仁風閣など地域の自然環境や文化財保護も射程に展開していきました。
本展では、吉田璋也が手がけた「新作民藝運動」の軌跡とエッセンスを、吉田自身がデザインを考案した作品や、関連資料など、約300点により展覧します。
[みどころ]
1.東京で初開催! “民藝のプロデューサー” 吉田璋也の全貌が明らかに
近年、全国各地で「民藝」をテーマにした展覧会が盛んに開催されています。その中でも、民藝運動に関わる重要人物として吉田璋也は紹介されていますが、東京で「吉田璋也」の名を冠した展覧会が開かれるのは、今回が初めてとなります。民藝やデザインをめぐる吉田の活動と人物像について、最新の研究成果も踏まえて、過去最大級に深掘りします。
2.陶器、電気スタンド、染織、木工家具… 多彩な新作民藝の魅力
柳宗悦は「民藝の父」とされていますが、陶芸家の河井寬次郎は吉田璋也を「民藝の母」と呼びました。柳が民藝の美を発見し、その思想や理論を深めて運動を推進したのに対し、吉田は新たな民藝(新作民藝)の企画、デザイン、生産、販売の一貫した体制を確立し、柳の提唱した民藝の思想を実践的に展開したからです。地域の工芸を普遍的な美へと押し上げた吉田デザインは、特定の様式にとらわれず、現代生活にふさわしく実用性と簡潔さを結実させました。陶器、木工、染織など、多岐にわたる新作民藝の精華をご覧いただきます。
3.吉田璋也が描いた“民藝建築”
吉田璋也は「生まれ変わったら建築家になりたい」という言葉をのこすほど、建築設計や空間構成に尽力しました。本展では、個々の新作民藝とともに、吉田が建築を通じてどのように自身の理念を体現したかに着目します。“民藝建築”をコンセプトにした当館独自の会場造作やロビー映像、そして新作民藝の実践が息づく建築空間である「旧吉田医院」と「旧吉田璋也自邸」の一部の原寸再現展示をお楽しみください。
吉田璋也とは?
“私の生活は如何にも、医者と民藝と二兎を追うように見える…(中略)
だが私にとっては、民藝の心で医者の生活をしているので、
二兎でもなく一つなのです。”
(吉田璋也「民藝と私」、『民芸』173号、1967年)
吉田璋也は自らを「民藝の心をもつ医師」と称し、地域を拠点とした先駆的な「新作民藝運動」の取り組みを通じて、生涯をかけて今日にも通ずる民藝のあり方やデザインを提起しました。
[展示構成]
序章 美の標準― 鳥取民藝美術館
柳宗悦が提唱した民藝の「美の標準」を具体的に示すため、吉田璋也は古今諸国の民藝を蒐集し、広く展観する場として鳥取民藝美術館を創設しました。新作民藝運動の原点を示す導入として、最初に吉田による蒐集品を紹介します。
第1章 白樺の森に遊ぶ―理想に目覚めた青春の日々
吉田璋也は新潟医学専門学校在学中に、『白樺』を愛する友らと語らいながら、美と理念に生きる道を模索し、生涯の師と仰ぐ柳宗悦と出会いました。ここでは、吉田の新作民藝運動の胎動期を見つめます。
第2章 用から美を紡ぐ―鳥取からはじまる民藝のデザイン
鳥取で開始した新作民藝の取り組みは、地元の古作の蒐集と伝来の素材や技法の調査から始まりました。吉田璋也は鳥取の工人とともに、現代の暮らしにふさわしい「用」から「美」を紡ぎ出す民藝の「デザイン」に挑み、「たくみ工芸店」を通じて普及させていきました。
第3章 邯鄲の夢に漂う― 中国の地で見たもうひとつの民藝
1938 年、吉田璋也は軍医として応召し中国北部に派遣されました。除隊後は北京に居を構え、工芸家の協力を得て1945 年まで中国で新作民藝運動を推進しました。異国の風土に民藝の美を見出し、吉田における理想と現実が交錯した漂泊の時代に焦点を当てます。
第4章 美の王国を築く―暮らしの中に息づく民藝の実験
吉田璋也は、美術館、工芸店、割烹店を拠点に、民藝の美を生活に結び届ける仕組みを築きました。戦後日本のひとつの文化的生活の理想像を示した、数々の吉田デザインが並びます。
第5章 美の同志と歩む―民藝運動の師と友との交歓
柳宗悦と白樺の人々、民藝の先達、河井寬次郎、濱田庄司、バーナード・リーチら、生涯の友となる式場隆三郎。師と友との交友は、吉田璋也にとって創造の励みであり心の支えとなりました。
本章では、吉田璋也の民藝をめぐる人物交流を紹介します。
第6章 美と社会を結ぶ―地域を育むまなざしと行動
最後の章では、吉田璋也の民藝運動の拡がりを見つめます。
吉田における民藝の理念は、鳥取砂丘や鳥取城跡、仁風閣など、自然や文化を護る運動へと展開し、個人の暮らしの次元を超えて、社会のありようにも深く関わるようになりました。
特別展示 美の空間―旧吉田医院・旧吉田璋也自邸
吉田璋也は1932年から、医院の改装や新築を行うたびに自ら「民藝風医院」の設計に関わりました。東洋風の建具の横に西洋風の建具を配すなど様式の綜合が設計テーマでした。建築のみならず、診察椅子、薬瓶台、家具類から屑入れまで、吉田が設計しています。本展では、「旧吉田医院」とともに、日常生活における民藝の実践を示す「旧吉田璋也自邸」の一部の原寸再現展示を行います。