寛永行幸四百年記念 特別展 寛永行幸と花の都の文化びと
開催概要
- 会期
- 2026年09月05日 〜 2026年10月18日
- 会場
- 泉屋博古館 (京都府京都市左京区鹿ヶ谷下宮ノ前町24)
- ジャンル
- アート
- タグ
- 日本画
開催内容
江戸時代初期にあたる寛永3年(1626)9月、大御所徳川秀忠・将軍徳川家光の招きにより後水尾天皇が京都・二条城に行幸されました。初日の9月5日には、天皇一家と公家、将軍と全国の大名がそろう天下の大行列に、京の街は空前の活況を呈します。寛永行幸は泰平の世の到来を告げ、新たな文化の胎動をうながしたともいえるのです。
本展では行幸行列を活写する泉屋博古館所蔵 《二条城行幸図屏風》 (京都市指定文化財) を中心にこの歴史的盛事を振り返ります。そしてその前後から17世紀後半にわたり展開した寛永文化について東福門院 (徳川和子) という一人の女性を起点に見つめていきます。将軍の娘にして天皇の后となった彼女の周辺では、後水尾天皇、千宗旦、松花堂昭乗、小堀遠州、野々村仁清など、きら星の如き文化人たちが身分を越えた交流を通じ、それぞれの美の形を結びました。会場では公・武・民の架け橋となった東福門院ゆかりの品々をまじえ、その美と交流の足跡をたどります。
当館の近隣には東福門院菩提寺の光雲寺をはじめ、江戸初期復興のゆかりの社寺が点在しています。往時の雅人の息づかいを今に伝えるこの地で寛永文化に思いを馳せる一時をお過ごし下さい。
[本展の見どころ]
1.徹底解剖!《二条城行幸図屏風》
史実を踏まえた確かな記録性、熱気あふれる風俗描写の臨場感、驚異的な描き込み。類品中でも随一とされ、寛永行幸四百年祭のキービジュアルともなっている当館所蔵の《二条城行幸図屏風》(京都市指定文化財)がいよいよ登場します。実物のもつ迫力を体感できるまたとない機会です。さらにガラス越しでは確認できない細部の見どころを高精細画像によりご紹介します。
2.最高級!徳川家出身の皇后さまの衣裳調度
日本史上、唯一、将軍家に生まれ天皇に嫁した東福門院・徳川和子。幕府と朝廷のはざまにありながら、しなやかに生きた彼女の生涯を象徴する貴重な品々が並びます。現存最古の十二単はじめ、江戸時代を通じもっとも存在感のあった皇后の最高級の衣裳調度です。
3.東福門院の創作品、押絵に注目
東福門院が自ら創作に携わった押絵が集合します。美麗な端切れをはりあわせて描く押絵は、こののち宮廷の女性からひろがり、羽子板などの押絵や雛人形のルーツになったとも言われます。東福門院が大切な人々に贈ったこれらの作品からは、教養や美的感性、さらに贈った相手へのこまやかな情愛がしのばれます。
4.名品でたどる寛永文化のスターの交流
後水尾天皇、徳川家光、近衛信尋、小堀遠州・・・ 行幸に参加した面々は多く芸術方面にも高い関心をもち、優れたセンスで収集し、またプロデュースして茶の湯の道具としました。行幸がもたらした古典復興、公武融合といった文化の潮流のもと寛永の美術工芸が到達した粋、背景にある交流の物語を読み解きます。
[展示構成]
第一章 寛永行幸 ―新時代を告げる文化の饗宴
今を遡ること400年、寛永3年(1626)9月、大御所徳川秀忠・将軍徳川家光の招きにより、後水尾天皇が京都・二条城に行幸されました。武家のもとへの天皇の行幸は歴史上も数えるほど。幕府は威信をかけ、東西の智者を動員して、戦乱で途絶えた伝統をひも解き復興、また武家文化の要素も盛り込み、贅と趣向を凝らしたもてなしを5日間にわたり繰り広げました。
初日の9月5日には、二条城へ向かう天皇一家と公家、そして彼らを迎え先導する将軍と全国の大名の行列がそろって民衆の目前を進みました。それを一目見ようと全国から人びとが集まったと伝えられています。その様子を活写するのが《二条城行幸図屏風》です。
史実に即した高い記録性、そして沿道の最先端の風俗や悲喜こもごもの人間模様まで、他に類をみない驚異の細密表現で近年注目が高まる泉屋本《二条城行幸図屏風》。高精細画像も活用して余すことなく紹介します。
第二章 東福門院 ―文化の架け橋として
寛永行幸の実現に大きな役割を果たしたのが徳川和子、のちの東福門院(1607~1678)でしょう。二代将軍・徳川秀忠の五女で、家康の宿願により元和6年、十四歳で後水尾天皇のもとへ入内しました。江戸開幕以来、幕府は圧倒的な武力と財力を背景に朝廷に対する統制を強め、両者の軋轢が深まるなかでの政略結婚でしたが、二人は仲むつまじく行幸の際には二人の姫宮に続き懐妊中で、幕府・朝廷の融和ムードに拍車がかかりました。「将軍の娘」という前代未聞の出自をもつ后に反感を抱く者も少なくないなか、温順な人柄と心配りで天皇との愛情を深め、周囲の信頼を集めていったといいます。
東福門院を通じ幕府からもたらされた莫大な資金は、法皇となり長らく院政をしいた後水尾院と東福門院による社寺再興や文化活動を支えました。世紀のロイヤルウエディングともいえる東福門院入内は、寛永行幸とならび後世に語り継がれ、しばしば絵画化されたことは、京の町における東福門院の存在感の大きさを物語っています。
本章ではまず、彼女の入内とその生涯を象徴する品々から、「菊」と「葵」の狭間で真摯にしなやかに生きた東福門院を偲びます。
第三章 寛永文化の人びと ―公・武・民のミックスカルチャー
歴史的な盛事、寛永行幸の主客となった公武の貴人たちは、また多く芸術文化に親しみ、寛永文化形成に大きく寄与しました。後水尾天皇、徳川秀忠、徳川家光、近衛信尋、小堀遠州…、それぞれに和歌を詠み書をしたため、時に絵筆を揮い茶道具の制作にも携わっています。職人や画家などの鍛錬された作とは別趣の、その人の品性や趣味を映すかのような手跡は、一流文化人の証ともなりました。また、千宗旦や野々村仁清など民間の茶人や芸術家と交流し相互に刺激しあうことで、個性豊かで斬新な作品が生まれ、またその文化が広く民間に浸透していくことともなりました。本章では、彼らの作品や愛蔵の茶道具を通じ、公・武・民が響き合いながら形成され今日に至る文化芸術の礎にもなった寛永文化の豊かな世界に思いを馳せます。