小粥丈晴 架空の鏡
開催概要
開催内容
2006年の個展以来の画廊展示となる今回、小粥は近年取り組んできた写真作品を軸に、新作のみの構成で展覧会を構想した。それは写真作品と立体作品とがとなりあうことで、展示空間の虚構と現実を交錯させる試みであり、小粥が長年取り組んできた、ジオラマを写真撮影してもうひとつの現実を作り出すという行為の発展形態といえるだろう。
展示室には山の写真が並ぶ。自然の雄大さを力むことなく表現したかのようにみえるそれは、実は海辺に残されていた小さな砂山を小粥が撮影したものなのである。そして種明かしをするかのように、グラファイトで着彩された漆黒の木が台座のうえに「彫刻」として展示されている。見上げると天井から、圧倒的な不協和音を発するリング状の立体作品が吊られている。ダクトパイプを繋いで作られたそれは、写真がたたえる詩情と相反するように暴力的な存在感を放ち、展覧会に一抹の不穏さをもちこんでいる。
90年代のデビュー時から小粥は一貫して「どこにも存在しない場所」を主題としてきた。それはときにイデオロギーや社会の理想的なモデルへの模索でもあり、またときには精神の解放や平穏への希求、あるいは「美」という概念に対する問いかけであった。2006年にTARO NASU Osakaで展示した小粥の個展「White Hall Gift Shop」では、泥団子に象徴される「無価値のもの」を「商品」として並べ、アートにおける価値と価格の関係や、美醜と審美眼の問題や労働の視点から創造行為を考える鋭い考察等を展開した。作品を語るための舞台装置としてこのようなファンタジー(空想世界)を取り込むことは小粥にとっては現実からの逃避ではない。むしろ現実世界の再発見のための果敢な挑戦なのである。それは彼にとっては常に想像力を拡張し、既存既知の概念を批判的かつ生産的に見直すための精神の通路であり、異化効果をもたらす「鏡」の機能を果たしている。
20年の隔たりを経て、ファンタジーというフィルターを通して小粥が見つめ再構築した現実世界。鏡が常に現実とは左右反対のイメージを見せてくれるように、小粥の静謐なモノクローム作品もまた、色彩の氾濫する喧騒にみちた現実界そのままの反映ではない。ただ、その空想世界の静けさゆえに聞こえてくるかすかなきしみにこそ、現実世界の真実が隠されていると想像すること、それもまたもうひとつのファンタジーなのだろうか。
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「架空の鏡」 小粥丈晴
世界の時間がゆっくりと止まった
間が刺した
日頃のやる事がなくなったので部屋を片付ける
床に落ちた断片
作りかけのパズル
描きかけのどこかの風景
貝殻を拾って静かに耳に当てるように
一つ一つ拾い上げてじっと見る
あの時考えていたこと、その周りの記憶が聞こえてくる
もはやそこは家の中ではなく、自分の頭の中のようだった
洞窟のような頭の中を分け入っていくと
幼い頃の記憶まで遡っていた
皮膚が皮膚として硬化していないあの頃
誰もが眠る朝の白みに
そっと布団から抜け出した
山際の滑らかな水の音が漂う清流
柔い皮膚に全てがヒリヒリと刺さる
誰もいないところに産み落とされ、なにも聞かされず、目的もなく歩く
山奥から流れてくる水に足を取られながら
全てをじっと見つめる
自分を取り囲むこの世界を初めて認識した瞬間だった
その光景は今でもうっすらと自分のどこかにまとわりついている
そのせいで自分を取り囲むこの世界を上手く受け入れることができず
今も何かに足を取られながら彷徨っている
受け入れ難い不思議な世界と和解?するために描くことをまた始めよう
架空の鏡に映し出して
洞窟を抜けると外の世界は時間を取り戻していた
しかし以前とは逆の回転になっていた