没後100年記念 住友春翠 —仕合せの住友近代美術コレクション
開催概要
- 会期
- 2026年08月29日 〜 2026年10月12日
- 会場
- 泉屋博古館東京 (東京都港区六本木1-5-1)
- ジャンル
- アート
- タグ
- 絵画、近代絵画
開催内容
作品が収蔵されるとき、その一つひとつにはそれぞれの物語があります。それは「いつ」「どこで」「誰が」「何を」「なぜ」「どのように」手に入れたのか―住友コレクションは、中国古代青銅器をはじめ、中国・日本書画、西洋絵画、近代陶磁器、茶道具、文房具、さらには能面・能装束など幅広い領域にわたりますが、その多くは、現在の住友グループの礎を築いた住友家第15代当主・住友吉左衞門友純(ともいと)(号 : 春翠、1864~1926)によって明治中頃から大正時代にかけて買い求められたものです。
須磨別邸に訪れた洋画家・小杉未醒(みせい)は、春翠の印象について「富豪は二重の人格を持つ、一つは富豪其人の人格、一は其の家の人格」と述べています。春翠が手に入れた作品にもまた、「家」と「私」というふたつの意識がその根底に流れています。もっとも、「家」と「私」は明確に区分できるものではなく、「家」のなかの「私」、あるいは「私」のなかの「家」があり、淡水と鹹水が混ざり合う汽水域のように、「家」と「私」とが交錯する独自の価値観のもと、このコレクションは形成されていきました。
本展は、住友春翠の没後100年を記念し、春翠が関心を寄せた近代美術を紹介するものです。同時代を生きた作り手たちとの交流を通じて、春翠が何をまなざし、何を求めたのか。本展では、春翠と作品とのめぐり合わせ(=仕合せ)を時系列順に辿りながら、その美意識を見つめなおすとともに、収集の背景や時代性といった視点からコレクション形成史を再考する機会とします。
[本展のみどころ]
1 近代美術コレクションの代表作と再会するコレクションたち
春翠の好みはしばしば「典雅清淡」と称されますが、確かに現在遺されている作品の数々は格調高く、そして清らかな趣をたたえています。本展では日本画や洋画、そして工芸まで、春翠のもとに集まった当代美術を一挙公開し、作品を通じてその美意識の在りかをご覧いただきます。また当時、関連会社や個人への寄贈により、春翠は自身が収蔵した作品の一部を手放しています。本展では、住友が旧蔵した作品を併せてご紹介し、当時の収集について復原的に検証します。
2 クロニクルで魅せるコレクションの軌跡
本展は、春翠の経歴と作品購入の歴史を時系列順に紹介します。新しい試みとして、会場の壁面には年表のように各年の出来事を掲示し、またその事蹟と紐づくかたちでコレクション形成の諸相をご紹介します。春翠の足跡と収集の軌跡を歩きながらたどることができる展示を目指します。
3 同時代作家たちとの交流
洋画家・鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)のパリ留学費用の資金援助に代表されるように、春翠は美術の庇護者として積極的に同時代の作家や美術団体を支援しました。また春翠が嗜んだ茶の湯を通じた交流、あるいは自ら筆を執り、気心の知れた画家とともに席画に興じるなど、春翠は作家とパトロンの垣根を超え、同時代の作家と親しく交流を結んでいます。展覧会では、春翠が買い求めた作品をご覧いただくとともに春翠と作家のエピソードを紹介します。
[展示構成]
第1章 ノブレス・オブリージュの目覚め 明治25~36年、29~40歳
住友春翠(幼名・隆麿)は、元治元年(1864)、清華家(せいがけ)の徳大寺家の第五子として生まれました。幼少より漢籍や国書を学び、茶事・能楽・詠歌を嗜む父公純(きんいと)のもとで公家としての教養を身につけ、また徳大寺家出入りの絵師・畑綱之(はたつなゆき)から絵手本を与えられるなど、美術にも親しんで育ちました。
父の死後、学習院で学んだのち、明治25年に住友家に婿養子として入家、翌年に家督を相続しています。春翠は当時住友家が抱えていた重要課題に取り組む一方、明治30年には約8か月に及ぶ欧米視察を行い、欧米諸国における企業経営の実態や実業家による社会貢献の在り方を目撃しています。帰国後は社会貢献への意識を深め、明治36年には第5回内国勧業博覧会の協賛会会長・評議員として博覧会の成功に尽力しています。
こうした活動と並行して美術収集にも力を注ぎ、日本画では田能村直入(たのむらちょくにゅう)、村田香谷、橋本雅邦といった当時の重鎮作家らの作品を購入し、洋画では兄西園寺公望の助言を受けて黒田清輝や山本芳翠を支援したほか、欧米視察の際にはモネの作品を購入しました。また博覧会を契機に当代工芸品の収集も進め、これらは明治36年に竣工した須磨別邸を飾ることになりました。
第2章 フィランソロピーの実践 明治37年~大正4年、41~52歳
明治36年に須磨別邸を建設した春翠は、続いて約280年にわたり住友家の本邸であった鰻谷邸に代わる新たな本邸の建設に着手しました。大阪・茶臼山に築かれたこの邸宅は、春翠自らが建設現場に足を運び細部まで指示を与えるなど特別な意を注いだもので、大正4年に住宅部分がほぼ完成し、寛永13年以来の本邸がここへ移されました。この築邸は春翠の美術収集にも影響を与え、近代和風建築を飾るにふさわしい作品が選ばれていきました。
一方、欧米視察の際にシカゴの実業家マーシャル・フィールドの美術館寄付に感銘を受けた春翠は、大阪図書館(現・大阪府中之島図書館)の建設費や図書購入基金を寄付しています。さらに大阪美術館の設置を構想し、美術館への寄贈を見据えて、明治42年から大正3年にかけて文展や巽画会(たつみがかい)などの展覧会出品作を集中的に購入しています。この時期の収集は、邸宅を飾る調度としての側面に加え、画家の支援や社会への文化的還元を志向した点に特徴があります。
第3章 「家」と「私」を貫くもの 大正5年~大正15年、52~63歳
大正4年に本邸の移転を終えた茶臼山邸は、その後も洋館の増築などが進められ、大正8年にようやく全体が完成しました。しかしそのわずか2年後、春翠は美術館建設を条件に茶臼山の敷地を大阪市へ寄付することになります。これは周辺環境の変化に加え、大阪市が美術館用地を求めていた事情によるものであり、なによりも大阪に美術館を設けることは春翠の長年の願いでした。
この時期には展覧会での作品購入が次第に減少していき、春翠は信頼する作家たちとの交流を深めています。とくに茶臼山邸の建具一切を手がけた表具師・井口邨僊(そんせん)(井口古今堂(こきんどう)三代目)の取り次ぎにより、望月玉渓(ぎょっけい)や上田耕甫(こうほ)ら「古今堂ネットワーク」の画家の作品が多く収集されるようになります。床の間に映える瀟洒(しょうしゃ)で典雅な作風は、春翠の美意識にかなうものであり、また彼らは賓客の前で即興の席画を揮うなど重用された画家でした。晩年の春翠は自らも書画を嗜みながら作家と文雅の交わりを結び、その交流のなかで集められた作品には、「家」と「私」の意識をあわせ持つ春翠の姿が色濃く表れています。
前期:2026年8月29日(土)〜2026年9月23日(水・祝)
後期:2026年9月25日(金)〜2026年10月12日(月・祝)
*会期中展示替えあり