開館50周年記念 山口華楊展

開催概要

会期
2026年07月11日 〜 2026年08月30日
会場
SOMPO美術館 (東京都新宿区西新宿1-26-1)
参加クリエイター
山口華楊
ジャンル
アート
タグ
平面、絵画

開催内容

 日本画家・山口華楊(かよう)(1899–1984)は、西村五雲(ごうん)(1877–1938)に入門後、京都市立絵画専門学校に入学。主に動物を主題とした作品で頭角を現します。五雲の亡き後は画塾・研究団体である晨鳥(しんちょう)社を再興し、京都画壇を代表する画家の一人となりました。本展では、SOMPO美術館が収蔵する華楊の代表作3点を中心として、初期から晩年までの画業を通覧します。京都ではなじみの深い華楊ですが、東京では27年ぶりの回顧展です。

[みどころ]
1 東京で27年ぶりの回顧展
山口華楊は京都画壇を語るうえで欠かせない存在ですが、1999年の銀座松屋を最後に、東京では回顧展が行われてきませんでした。東京で華楊芸術の魅力を味わう、またとない機会です。

2 親しみやすい動物画
華楊といえば、動物画。犬や鹿、牛、狐、ライオンなど、さまざまな動物たちを描いた作品が集合します。夏休み企画として、幅広い世代が楽しめる場を演出します。

3 同館収蔵作品の一挙公開
同館は、華楊の初期・中期・後期を代表する作品を収蔵しています。豊かな生命感をたたえた《葉桜》、洗練された技術が光る《猿》、画業の集大成である《幻化》―これら3点を6年ぶりに一挙公開します。

[展示構成]
■1章 初期作品
 1912年、山口華楊は12歳で西村五雲に入門します。厳しい指導のもとで、写生を基礎から学びます。17歳のとき、《日午(にちこ)》(1916年)により、第10回文展に初入選。若くして頭角を現しました。五雲のすすめで竹内栖鳳(1864 -1942)からの教えも受けつつ、官展に入選を重ねます。《鹿》(1927年)で第8回帝展の特選を受賞。五雲からも、課題点の指摘はありつつも評価されました。
 初期作品は、たしかな写生の技術に裏打ちされた力強いエネルギーを特徴としています。同館が収蔵する《葉桜》(1921年)をはじめ、その技術と表現力の片鱗をうかがうことができる作品を展示します。

■2章 系譜―師・五雲から華楊へ
 1938 年、華楊の師である西村五雲が没し、晨鳥社は一度解散します。精神的な支柱を失うほどの衝撃を受けたという華楊は、遺作展を開催するために奔走します。それとともに、塾生の後押しを受け、同年に晨鳥社を再興。晨鳥社は、五雲が門人を指導する画塾から、上下関係を定めない研究団体へと生まれ変わりました。
 このころの華楊の課題は、五雲の姿勢を受け継ぎつつ、いかに独自性を追求していくかにあったといえます。五雲の描く動物画には厳格さがありますが、一方で華楊が表す動物には作家の慈しみの情が反映されているようです。五雲亡き後に新たな展開をみせる画境を紹介します。

■3章 探究―植物表現の生命力
「動物画家」としての地位を確立した華楊ですが、植物の表現にもその特徴が凝縮されています。もともと華楊は花鳥画家とみずからを認識しており、いわば動物画家である以前に花鳥画家なのです。したがって、若くして植物の描写に長けていました。そのことは、《葉桜》(1921年)にも端的に表れているでしょう。
 円熟を迎えた華楊の作品は、背景の抽象化が進み、動物は静かな佇まいをみせます。一方で、最晩年の代表作《幻化》(1979年)にも表れているように、植物が画面に登場すると、ひときわ強い存在感をもちます。本章では、今にも動き出しそうな生命感をたたえた植物を描いた作品を展観します。

■4章 大成―「偉大なる動物画家」として
 戦後の華楊は、日展と晨鳥社展を中心に、作品の発表を続けます。第11回日展に《仔馬》(1955年)を出品し、翌年に本作で日本芸術院賞を受賞します。1971年、日本芸術院会員に任命され、1975年に日展の顧問となります。最晩年の1981年に文化勲章を受章。翌年にはパリのチェルヌスキ美術館での個展に招待され、「偉大なる動物画家」として高く評価されました。
 終生、華楊は写生を重んじました。そのうえで表現はシンプルに洗練され、《幻化》(1979年)に代表される幻想的な境地へ至りました。
 五雲に入門したのが1912年。そして1984年に没するまでの約70年にわたって、精力的な制作活動を続けました。その画業の円熟から大成にいたるまでの道のりをたどります。


開館50周年記念 山口華楊展