東京工芸大学 芸術学部 写真学科 卒業制作選抜 Recommend展 2026

東京工芸大学 芸術学部 写真学科 卒業制作選抜 Recommend展 2026

開催概要

会期
2026年03月13日 〜 2026年03月19日
会場
ソニーイメージングギャラリー (東京都中央区銀座5-8-1 銀座プレイス6階)
ジャンル
写真

開催内容

東京工芸大学は1923 年(大正12年)に創立した小西寫眞専門学校を前身とし、2023年に100周年の節目を迎えました。写真学科は本学のルーツにあたる学科です。長い歴史の中で培われた教育体系を礎として、各々の学生が考える「写真」とは何かを4年間徹底して学んでいます。

本展覧会のタイトルである「Recommend(リコメンド)」とは「推薦する」という意味です。大学での学びの集大成となる卒業制作の中から、写真学科教員が選抜した作家13名による展覧会となります。これからの時代を担う作家達が、どのような「新しい視点」で社会を眼差しているのか、その一端をご覧いただけると幸いに存じます。

社会において写真を取り扱う環境は日々劇的な変化を続けています。そのような状況のなか、懸命に写真と向き合い、様々な葛藤や努力を経て完成させた作品群です。

ご来場の皆さまにおかれましては、ご高覧下さいますようお願い申し上げますとともに、作者たちへの励ましのお言葉、今後へのご助言をいただければ幸いに存じます。

東京工芸大学 芸術学部 写真学科主任
上田 耕一郎

出展者:13名
内海 幸雪(うつみ こゆき)、岡田 望(おかだ のぞむ)、カナン、木村 琉泉(きむら るい)、栗原 みのり(くりはら みのり)、田辺詩懐(たなべ ふひと)、二宮 綾乃(にのみや あやの)、橋本 眞海(はしもと まひろ)、濵中 美唯菜(はまなか みいな)、樋口 若菜(ひぐち わかな)、ヨウジャクシン、
中根 健太(なかね けんた)、藤田 雄大(ふじた ゆうだい)


内海 幸雪『みちの先』

点字ブロックを踏まないことを習慣にしてきました。しかしその行動の先にいる誰かを知ろうとはしていませんでした。対話を通じて出会ったのは、「視覚に障害のある方」と一括りにはできない、一人ひとりの豊かな個性でした。外見、持ち物、思い出の場面。三つの断片から、それぞれの方の輪郭を写し出そうと試みました。この作品が、点字ブロックの先にいる個人を想うきっかけになれば幸いです。

内海 幸雪 教員推薦コメント 圓井 義典 教授
「点字ブロックを必要とする人たちは、世界をどのように把握しているのか」という素朴な疑問が作者の原点にある。企画書を送り、電話で、そして対面で、見ず知らずのたくさんの人たちや関係団体と交渉を重ねる中で、作者は思いもよらぬ障害にたびたび出会った。この両者を隔てる障害は、私たち自身がなす日々の暴力、つまり、「視覚障害者」とひとくくりに線引きして終わらせようとする私たち自身の冷酷さを物語る。

岡田 望『多摩川採集』

多摩川には様々な文化や価値観を持つ人が集っている。私はコイントスのような偶然の出会いを通じて、ファインダー越しに「他人が見ている多摩川」を覗き込む。それは幼い頃に虫取りをしていたときの感覚に似ている。

岡田 望 教員推薦コメント 川島 崇志 助教
他者に声をかけて写真を撮るという行為は、写真表現の基本でもある。岡田は多摩川沿いでそれぞれの時間を過ごす人々と丁寧にコミュニケーションを重ねながら、出会った人々の肖像と川辺の風景を細やかに写し取っている。多摩川沿いで育った岡田にとって、そこはある種の原風景でもあり、写真には彼にとって愛すべき光景が確かに刻まれている。誠実な実践の積み重ねから生まれた、きわめて力強い作品である。

カ ナン『Boundary』

境界というテーマに関心を持ち、外国人コミュニティと日本社会の間に生まれる目に見えない境界を探る。
人や文化、自然、社会が交差する中で生まれる繊細な感覚を土地の気配や声から捉え、柔らかな境界を映し出すことを目指している。

カ ナン 教員推薦コメント 川島 崇志 助教
日常には、さまざまな境界が存在する。目に見えるものから見えないものまで、在り方は多様であり、容易に言い表せるものではない。異国の地で学ぶ彼女にとって、そうした境界は私たち以上に切実な感覚として立ち現れているに違いない。写真には、風のように目には見えないものをすくい取る力がある。JIAは同じ境遇にある人々や自身の内面の声に耳を澄ましながら、さまざまな形の境界を捉えようとしている。観察と優れた感受性から生まれた、魅力ある作品である。

木村 琉泉 『Niijima』

これまで、積み重ねてきた視点と経験を一つの形にまとめることで、私が感じてきた新島の魅力と、この島の自然が持つ“変わらない力”、そしてそこに生きる人々の“かけがえのない瞬間"を、少しでも多くの人に届けたい。

木村 琉泉 教員推薦コメント 勝倉 崚太 准教授
こんなにも美しい風景のなかで生まれ育ったことを羨ましく思う。しかし、そこで生活したからといって、誰もが簡単に撮ることができないことは、作品を見れば明白だ。サーフィンを通じて、自然を知り、仲間を増やしてきた。木村だからこそ見ることができた瞬間を見事に捉えている。これからもこの島の変わらないもの、そして変わっていくもの、そのどちらも撮り続けていってほしい。私もいつか必ず新島に訪れ、魅力を体感したい。


栗原 みのり『わたしこれからは、ちがうせかいをいきるよ』

これは、おわりとはじまりの物語。
わたしはある死を覚悟したとき、とっさにまだ死にたくないと思いました。それは、まだやり残したことがある、という意味でした。わたしが学校に行けなくて泣いていたとき、そんな孤独な子に、届けたい想いがある。だからまだ終わりたくない――。
それがすべてのはじまりです。わたしの魂は、泣いて、もがいて、笑って、愛する。それはいつもはじまり。かなしみも、わかれも、いつもはじまり。

栗原 みのり 教員推薦コメント 小林 紀晴 教授
栗原みのりの作品をしばらく見つめていると、内包という言葉が自然と浮かぶ。それに思いが傾く。幾重にも畳まれ、絡んでほどけなくなってしまった感情は確かに彼女の身体の内にあって、けっして他者には見えないものだけど、薄っすらとこちら側にこぼれ出す。そのさまを私たちは作品を通して感じえる。だからこそ慎重な心構えとともに目を瞑り、耳を澄ませなければならない。すると振り返ることもなく、うしろの正面を目撃する。

田辺 詩懐『写真を撮る、手紙を送る。』

どんな場所で写真を撮っても、光景の断片や匿名的な部分しか持ち帰れず、そのときの息遣いや思っていたこと、遠方へ移動する過程といった体験そのものの方が、より複雑で大きなスケールを持っていると感じた。生活や旅の最中に出会う何かや、ささやかな出来事の痕跡を、ゆっくりと、しかし確かに手にするため、ピンホールカメラを「手紙」として投函した。その投函と移動の往復に応答するように、自らも絵葉書となる写真を撮影した。

田辺 詩懐 教員推薦コメント 川島 崇志 助教
どこかへ赴き優れた写真を撮ったとしても、それだけで経験のすべてが語られるわけではない。田辺の作品は、写真における表現と記憶のずれや、写るものと写らないものといった写真の本質を静かに示唆している。日常生活や旅先で出来事があるたびに、自作のカメラに言葉を添えて自宅へ送り、あわせて近隣で心に留まった風景を収集する。自身の移動や行為をより大きな視点で捉えることに成功し、非常に魅力的な作品へと結実している。


二宮 綾乃 『二宮あー』

私は2021年2月から4年間、「二宮あー」という名前で地下アイドルとして活動してきた。ライブや特典会、SNSを通じてファンと近い関係を築く一方、常に親密さと曖昧な距離感を伴っていた。本作は、当時私を支え、形づくってくれたファンを正面から撮影した作品である。現役時代には向き合いきれなかったアイドルとファンの距離を写真を通して見つめ直し、「二宮あー」として過ごした4年間の存在証明として制作した。

二宮 綾乃 教員推薦コメント 小原 真史 准教授
証明写真のように真正面から撮影されている人々は、昨年まで地下アイドルとして活動していた二宮のファンたちの姿だ。アイドルを引退した本人の姿はその中にはなく、彼女を支えたファンたちのポートレイトがその不在を惜しむ残り火のように並んでいる。これらはアイドルだった自らの存在証明というだけでなく、ファンたちへの別れの挨拶のようなものだろう。しかしそこに満ちている祝祭的な雰囲気は、撮られる側から撮る側へと転身した彼女への花向けのようでもある。

橋本 眞海『繋ぐ』

「私の世界」がまだ極端に狭かった高校時代、通学路から見える朝焼けや夕焼けに心を奪われた。月と違って欠けることの無い太陽が、水平線や地平線に沈む姿や、雲に重なる様子、また瞬間ごとに表情を変えてくる空や、水面の反射、色に染まる街並み、そんな景色に惹かれていたのだ。
自転車を止め、スマートフォンで写真を撮っていた当時、「いつか一眼レフを手にして、もっと遠くまで足を運んで撮影してみたい」という憧れを抱いていた。
4年間写真を学んできた現在の私が、それをカタチにする。

橋本 眞海 教員推薦コメント 上田 耕一郎 教授
多くの人が「美しい」と感じるであろう朝焼けと夕焼け。その中の一人だった高校生の頃の彼女が写真の世界に飛び込み、4年の歳月が流れた。改めて誰もが美しいと感じるそれに向き合った。いまこの作品をRecommendできるのは、普遍的な「美しい写真」から脱却し、あくまでも「自分が感じたもの」にこだわり、橋本眞海にしか表現できない世界観をカタチにできたからではないだろうか。橋本の終わりなき旅はまだまだ始まったばかりである。

濵中 美唯菜『触れた先のどこか』

日常の中でふと現れる不穏さや気味の悪さに惹かれ、その瞬間に感じる別の世界の入口を追いかけてきた。私はそれらの場所を、新しい世界や、誰もいない現実離れした場所へと繋がる気配として捉えているが、それらは同時に「私が見ている世界の一部」でもある。撮影したプリントに触れ、インクを溶かすという行為を通して、プリント内部の世界と現実がわずかに触れ合う瞬間を探した。

濵中 美唯菜 教員推薦コメント 川島 崇志 助教
日常の中で出会った心動かされる光景を撮影し、その写真を水に浸す。写りすぎていた像はディテールを失いながら、やがて別の世界を立ち上げていき、自身の感覚と像が交差する地点で、彼女は静かに作業を終える。本作においては、どこで手を止めるかという判断が極めて重要であり、そのためには自らが思い描く像に対する確かな理解が求められる。濱中はなぜその場所を撮影し、何を見たのかを幾度も問い直し、静かで美しい作品へと結実させている。

樋口 若菜『プロダクトカット撮影の記録と輪郭表現の研究』

広告で扱われる写真には主にプロダクトカットとイメージカットの2種がある。プロダクトカットは「色」「形」「質感」「文字情報」を正しく伝える必要がある。私は一般的に写真として認知度の低いプロダクトカットに興味を持ち、研究対象として撮影を行った。

樋口 若菜 教員推薦コメント 高崎 勉 教授
コマーシャルフォトと聞くと、多くの方は華やかなイメージを思い浮かべることだろう。だが立体的な商品を二次元に定着させるプロダクトカットもまた、広告表現において不可欠な領域である。樋口若菜は本制作において、とりわけ輪郭表現の研究に注力し、日常的に用いられる製品に新たな存在感を与えてきた。その成果は商業写真における撮影者の専門的役割を、あらためて可視化する試みとして位置づけられる。

ヨウ ジャクシン 『もし月光を見つけたなら』

写真は、意味や存在の差異・遅延を可視化する装置である。写真における見えるものと見えないもの、現前と不在、到来と遅延、生と死という矛盾こそが「幽霊性」が宿っているところなのだ。この作品は「幽霊的」な視点から、その間のかすかな「ずれ」を写真に捉え、存在と不在の境界を探る試みである。月明かりを見たときのように、そこには、太陽から反射され、はるか遠くの距離と長い時間を越えて今ここに届いた、不在のままの光がある。

ヨウ ジャクシン 教員推薦コメント 大和田 良 准教授
本作では、写真の「幽霊性」をキーワードに、その痕跡性が鋭く探求されている。ヨウにとってカメラは、かつて存在した時間の消失を延期する装置であり、同時に不在を刻み続けるイメージを描く装置でもある。タイトルに示された「月光」が、喪失されうる瞬間を照らし出す遥か遠くからの淡い光だとすれば、彼女の写真は此方と彼方の境界を結ぶ中間領域を捉えようとするものだと言えるのではないだろうか。

中根 健太 『木の家、白煙の町』

両親の別居を機に、母が終の住処として購入した栃木県那須の家へ通うようになった。別荘地にはかつての繁栄の痕跡が残る一方、観光地特有の装いに整えられた街並みがそれらを覆い隠す。地方は変わらぬ場所だと思っていたが、那須では過去の遺産と更新される現在が噛み合わぬまま共存していた。本作は資源・文化が画一化される過程を可視化し、過去の遺産と変わり続ける風景を、時間・空間・物質の三層から批評的に読み替えることが目的である。

中根 健太 教員推薦コメント 大和田 良 准教授
本作は、那須の別荘地に残る繁栄の痕跡を捉えつつ、資源と文化の均質的な消失を可視化する。作者の母が終の住処に選んだその場所を起点に、綿密なフィールドワークで人工風景の変容を時間・空間・物質の三層から読み解き、抽象化されたイメージをゴム印画で描き出した。手の痕跡が残される、ピクトリアリズム期に多用されたこのオルタナティブプロセスは、その特性によって、本作の追憶的映像と現実の緊張を鮮やかに紡ぎ出す。

藤田 雄大 『蚊帳の外の鵺』

恋人・友人であっても介入できない問題を目の当たりにした時、無力感を感じる。ある時から、自分の奥底にある不安感や人間関係に感じる不気味さを体現したかのように、不気味さを感じる被写体を求め、撮影するようになった。被写体との距離を感じながらシャッターを押した。その時、カメラを持った自分と、他者との距離感を測り顔色をうかがう自分が重なった。被写体を良く写そうとする距離と、相手に不快感を感じさせまいとする距離。この二つの要素を対比させることによって、初めて自分の他人に見せない"裏の顔"を自覚した。その時、写真のように自身の内側の不気味な感覚とも良い距離感を掴めるのではないだろうかと感じた。こうして、自分の心情との付き合い方がひとつだけ見つけられた気がした。

藤田 雄大 教員推薦コメント 勝倉 崚太 准教授
人間関係の悩みは誰しも常に付きまとうものだ。いつも明るく、弱みを見せない藤田もそれは変わらない。他者がいるからこそ、自分だけの力では如何ともしがたく、行き詰まる。そんな時こそ撮影に行く。何故、それを撮るのか。何故、モノクロなのか。なかなか言葉にできない。しかし、撮影に行けば必ず強い写真を携えて帰ってくる。それはまるで、どうしようもできない思いや言葉にできない感覚を、被写体を通して写真にぶつけているかのようだ。