特別展「小磯良平展――幻の名作《日本髪の娘》」
開催概要
- 会期
- 2026年01月10日 〜 2026年03月22日
- 会場
- 神戸市立小磯記念美術館 (兵庫県神戸市東灘区向洋町中5-7 六甲アイランド公園内)
- 参加クリエイター
- 小磯良平
- ジャンル
- アート
- タグ
- 平面、絵画
開催内容
日本を代表する洋画家・小磯良平(1903~88)は、人物画とりわけ気品と静謐さに満ちた女性像で多くの方に愛されてきました。小磯の画業をたどる上で欠かすことのできない名作が《日本髪の娘》(韓国国立中央博物館蔵)です。この作品は神戸の山本通りにあった戦前の小磯のアトリエで描かれ、1935年の「第一回第二部会展」に出品され、注目を集めました。時をおかず、李王家美術館が購入し、海を渡ったところまではわかっていましたが、その後の消息は判然とせず、幻の作品と考えられていました。
2008年、韓国国立中央博物館が李王家美術館の洋画コレクションを特別展「日本近代西洋画」にて展示したことで、《日本髪の娘》が「再発見」されました。神戸市立小磯記念美術館では《日本髪の娘》の里帰り展示を念願してきたなか、このたび本展が実現するはこびとなりました。
《日本髪の娘》はモダンなデザインの訪問着をまとい、日本髪の鬘(かつら)をつけた礼装の神戸の令嬢を描いています。当時32歳であった小磯は、大阪の百貨店・髙島屋が開催した着物の展示会「百選会」を訪れ、この着物と出会い、高価をいとわず自身で購入して制作にのぞみました。
第二部会展以来、約90年ぶりに日本で展示される《日本髪の娘》と、神戸市立小磯記念美術館の所蔵品を中心に小磯良平の画業を振り返り、新たな視点で小磯芸術を捉え直す機会にしたいと考えています。本展は李王家美術館の洋画コレクションを日本で紹介するという近代洋画研究にとっての画期となるとともに、2008年の報道以来、《日本髪の娘》に関心を寄せてこられた小磯芸術の愛好者の皆様にとって大きな喜びとなることでしょう。
[展示構成]
第1章 小磯良平の画業
小磯良平の描く婦人像は「清らかで気品漂う」と形容されますが、その85年の生涯を振り返ると、常に古びずモダンであろうとした「アヒルの水かき」とも言える挑戦と研鑽のありようが見えてきます。神戸のハイカラ文化を体現するセンスと卓抜なデッサン力に裏うちされた、暗い影を感じさせない純度の高い諸作は、常に高雅さをめざした努力によるものなのです。小磯良平は大戦でアトリエと多くの作品を失いましたが、戦後も次々に新しい表現を模索することで、具象絵画の雄であり続けました。この章は、小磯の専門館ならではの切り口でその画業を紹介します。
第2章 小磯良平の和装婦人像
親友で詩人の竹中郁(たけなかいく)は、1935年に発表された《日本髪の娘》について、「大ぴらにかれ小磯良平の存在を示した佳作である」と言い切っています。当時、広く讃嘆された作品だったのです。
小磯良平が描いた和装婦人像は割合としては多くはありません。和装婦人像には《日本髪の娘》を筆頭に、モデルと着物、ポーズの選択から細部の小物にいたるまで小磯の美意識が強くあらわれています。小磯はモデルの容貌、姿態だけでなく、コスチュームとしての着物からその女性の年齢、気性、趣味さえも表現しようと試みたのでした。
戦後、小磯は1958年から60年代にかけて舞妓を京都に通って描きました。さらに川端康成作『古都』の新聞挿絵を担当したことから、和装の労働着をまとった大原女、白川女も制作し、円熟の線描によるリトグラフを残しています。
第3章 《日本髪の娘》と第二部会
波乱の少ない小磯良平の画業のなかで大きな画期と言えるのは、1935年におこった「帝展改組」に反対して帝展無鑑査の有志たちが結成した在野の「第二部会」に参加したことです。心静かに制作をしたい、芸術家の創造の自由を希求するこの集まりは、翌年の小磯をふくむ「新制作派協会」の結成につながっていきます。《日本髪の娘》は、この第二部会に出品された節目となる作品です。
松田源治文部大臣は、帝国美術院を改革するとして、国の統制下に置こうとしました。いわゆる「松田改組」です。それまでの規定を廃して新規定をもちこんだことから美術界は大混乱におちいり、帝展の作風も保守的傾向に変化しました。この「美術界はじまって以来の大動乱」を避け、「二部会」の画家たちは官制の美意識から自由であることをめざしたのです。