市制施行70周年記念 自然、生命、平和 私たちは見つめられている 吉田遠志展

開催概要

会期
2024年07月20日 〜 2024年09月06日
会場
府中市美術館 (東京都府中市浅間町1-3)
ジャンル
アート
タグ
平面、版画

開催内容

可愛いだけが動物ではない 弱肉強食だけでもない。
吉田遠志は アフリカで 水辺を譲り合って仲良く暮らす 野生の動物たちの 平和な「共存共栄」の姿をみた。
遠志は描いて訴える 地上の原理を人間も守れと。
野生動物は、愚かな人間を じっと見つめている。

吉田ファミリーのなかの遠志
木版画一家、吉田ファミリーの名は、アメリカにおいても広く知られている。
吉田ファミリーは、福岡の画家、吉田嘉三郎(かさぶろう、1861-1894年)から始まる。嘉三郎は田村宗立や彰技堂に学び、福岡修猷館にて上田博(1876-1950年)を見出し、養子として迎えた。実子のふじをと共に博を指導した。この養父の早逝後、一家を支えたのは博であった。
博とふじをは、水彩画において独自のスタイルを築き上げ、1903年から4年間にわたり、アメリカやヨーロッパ、アフリカなどで絵を売りながら写生旅行を行った。
彼らは世界を巡りつつ、日本の水彩画を世界に紹介した。帰国後に二人は結婚し、長男の遠志(とおし、1911-1995年)が生まれ、次に版画家となる穂高が誕生した。
博とふじをは木版画に目覚め、足の不自由な遠志と弟を連れ、全米をキャンピングカーで巡り、木版画を全米に広めた。彼らの旅は、南極やアフリカにまで及んだ。

遠志の活動
博の死後、ファミリーの経営は遠志が引き継いだ。遠志は幼少期から動物園に親しみ、動物の写生に飽きることなく没頭した。彼の画題は野生動物であり、取材はアフリカにまで至っている。また顕微鏡で見える微生物にも関心を寄せ、制作意図は、「生命の根源」を探求することに向けられていった。
遠志は幼い頃、片足が病気で不自由になり、孤独を感じるようになった。孤独を埋めるように、絵を描くこと、動物と心を通わせることに没頭した。遠志は木版画、水彩画、油絵を描いたが、晩年には色鉛筆を駆使して絵本「動物のはなし」の制作に取り組んだ。計画は20巻であったが、17巻で彼は生涯を終えた。遠志の生涯と作品を紹介するのは、今回が初めてである。

長野県に芸術学校を設立
遠志は長野の御牧村で芸術学校を開設し、そこで人々と共に巨大な木版画作品を共同制作した。彼は、人々の創造性を共有する喜びを誰よりも心から楽しんだ画家であった。天才画家ファミリーの中心人物として温和に人々に接した遠志の心中には、実は創作意欲が燃えさかっていた。それは自然観察から生まれた生命への畏敬と世界規模の平和への願いであった。

遠志の作品には自然の力強さが感じられ、現代の私たちを絵の向こうの動物たちが逆に我々を見つめ返してくるような強い視線を感じる一人の画家が生命と共鳴し、その同調が美術作品の枠を超え、一つの大きな普遍的な全人類が願ってやまない平和への叫びとして聞こえてくる

吉田遠志(よしだとおし 1911~1995)
画家・吉田博とふじをの子として東京に生まれる。1歳でポリオに罹患、足を患う。幼少時は祖母と動物園にスケッチに行くのが楽しみであったという。1924年、伝統的木版画制作を開始。1930年には、父とインド、東南アジアを写生旅行。太平洋美術学校で絵を学び、以後同会展、日展、アンデパンダン展などに出品を重ねる1953~54年にかけ、ニューヨークジャパンソサエティの協力のもと、全米で木版技法講演を行っている。1972年にアフリカの自然公園を訪れ衝撃を受ける。1979年には長野県・美麻村に美麻文化センターを創立。1982年から動物絵本シリーズを計画し、1993年までの間に17巻を刊行。遠志の絵本は様々な賞を受賞している。1995年7月逝去。

市制施行70周年記念 自然、生命、平和 私たちは見つめられている 吉田遠志展