いわさきちひろ展
開催概要
- 会期
- 2021年07月24日 〜 2021年08月29日
- 会場
- 茨城県近代美術館 (茨城県水戸市千波町東久保666-1)
- ジャンル
- アート
- タグ
- 平面
開催内容
「世界中のこどもみんなに平和としあわせを」と願い、生涯にわたって子どもを描き続けた画家・いわさきちひろ(1918-1974)。美しく清らかな色彩に満ち、巧みな描写力に裏付けられた彼女の作品は、没後約半世紀を経た現在でも色あせることはありません。そのやさしさにあふれた作品イメージの一方で、戦争を経験し、「絵描き」として生きることを選んだ彼女の人生は決して平坦なものではなく、妻として、母として、そして絵描きとして、力強く55年の生涯を生き抜きました。本展では、新聞や絵雑誌などの挿絵を描き、童画家として世に出たちひろが、次第に絵本画家として才能を開花させ、絵と文が一体となった創作絵本『あめのひのおるすばん』(1968年、至光社)等によって絵本の世界に新境地をもたらすに至る、その生涯と作品を、豊富な資料を交えてご紹介します。
見どころ
ちひろファンの皆様へ―稀少な油彩画作品など、初期から晩年までの作品を網羅的に展示します。
茨城の県立美術館としては2回目となる、いわさきちひろの展覧会。ちひろ作品として長く親しまれてきた絵雑誌やカレンダー、絵本の原画などの代表作はもちろんのこと、油彩画や素描など稀少な初期作品も加わり、初期から晩年までの多様な作品が一堂に会します。
「かわいい」は、容易ではありません。
ちひろが描くあかちゃんの絵は、やわらかな肌の感触や温もり、心地よい肉体の重さといった触覚的な記憶や、「かわいい」といった感情を喚起するようです。余白を生かし、簡潔な筆づかいからなる作品は一見すると何気なく描かれたかに見えますが、若い頃から磨き続けた巧みな描写力、そして水彩絵具やパステルなどの画材を自在に操る技に、実は支えられているのです。ちひろの技法については、会場で詳しく紹介しています。
大人にこそ読んでほしい、奥深い絵本の世界。
画風の流行に左右されず、何年も読みつづけられる絵本を描きたいと願ったちひろ。そのためにも、絵は文の説明であってはならず、「独立したひとつのたいせつな芸術」と考えました。その思いが最大限に発揮された最初の絵本が『あめのひのおるすばん』(1968年)でした。ちひろ自身による詩のような短いことばと、絵の具のにじみを生かした絵が響き合い、雨の日に一人でお留守番をする少女の揺れ動く心情が描き出されています。それは、大人となった私たちこそが郷愁をもって享受できる絵本と言えるかもしれません。
子育て世帯へ送る、ちひろからのメッセージ。
ちひろの青春時代は戦時下で、女性は結婚して家庭に入ることが当然とされた時代でした。幼少期から絵が好きで美術学校への進学を夢見たちひろでしたが、婿養子をとって結婚するという親の定めに従います。結婚から2年足らずで夫が亡くなり、終戦直後、疎開先の信州から単身上京したちひろは絵描きとして身を立てる決意を固め、絵本画家としての道を自ら切り開きました。妻として、母として、そして絵描きとして、55年の生涯を生き抜いたちひろが残したことばの数々は、共働き家庭が珍しくなくなった現代において、描いた絵と同様に私たちに強く語りかけています。
大人も子どももあそべる展示―plaplaxによるメディア・アート作品
アートユニットplaplaxが、いわさきちひろ作品とのコラボレーションにより制作したメディア・アート作品を展示します。
・《絵の具の足あと》2018年
水をたっぷりと湿らせた紙に水彩絵具を一滴落とすと絵具が外に向かって広がり、にじみが生じます。この作品では、画用紙に見立てた白い床の上を鑑賞者が歩くと、足が接した部分に色のにじみが広がり、あわせてピアノの音が鳴り響きます。描く楽しさが体感できる作品です。
・《絵のなかの子どもたち》2018年
にじんだ色彩の中に人物のシルエットを白く塗り残して浮かび上がらせるという、白抜きの技法が体験できる作品。色彩が投影されたスクリーンの前に立つと、その部分が映像内に白く浮かびあがり、ちひろの絵の中に入りこんだような感覚を呼び起こします。
plaplaxとは……
空間や映像など、領域横断的にインタラクティブ(観客参加型)作品の制作を行っているアーティスト集団。メンバーの近森基(ちかもり・もと)氏は筑波大学大学院芸術研究科(総合造形)修了。
【いわさきちひろ略歴】
いわさきちひろ(本名:岩崎知弘)は、1918(大正7)年12月15日、岩崎正勝・文江の長女として、女学校の教師をしていた母・文江の赴任先(福井県越前市)で生まれた。翌年春、父・正勝の住む東京に戻る。幼い頃から絵を好み、「絵がじょうず」な「ちいちゃん」として知られた。1931(昭和6)年、東京府立第六高等女学校に入学。この頃、洋画家の岡田三郎助に師事。1945年、空襲で自宅を焼失、信州に疎開。1946年、芸術学校入学のため単身上京して『人民新聞』記者の職を得る。カットや記事を担当したちひろは、スケッチブックを持ち歩いて街頭でスケッチを繰り返し、デッサン会に通うなどする。1948年、絵筆一本で生きることを決意、新聞記者の職を辞する。1950年、結婚。翌年、長男誕生。1956年、絵雑誌の仕事が評価され、小学館児童出版文化賞受賞、売れっ子「童画家」になる。1957年、初めて絵本一冊まるごと手がける(『ひとりでできるよ』文・小林純一、福音館書店、1957年)。その後も戦後の児童書出版ブームに乗って仕事の依頼が相次ぐ中、絵本画家として評価が高まる。1968年、これまでにない絵本づくりを目指し、絵と文が一体となった創作絵本『あめのひのおるすばん』(至光社)を刊行。若い人向けの絵本や戦争をテーマにした絵本など、意欲的に制作に取り組んだが体調を崩し、1年以上の歳月を費やして『戦火のなかの子どもたち』(岩崎書店、1973年)を刊行。1974年、病により55歳で死去。