M meets M 村野藤吾 展 & 槇 文彦 展

開催概要

会期
2020年10月30日 〜 2020年12月27日
会場
BankART KAIKO (神奈川県横浜市中区北仲通5-57-2)
ジャンル
建築
タグ
原図、模型、映像、写真

開催内容

村野藤吾(1891~1984)は日本近代の建築家を代表する存在であり、日比谷の日生劇場(1963)や箱根プリンスホテル(1978、現ザ・プリンス箱根芦ノ湖)の設計者としても知られています。また2005年には、広島の世界平和記念聖堂(1953)が戦後建築として初めて重要文化財に指定され、大きな話題を呼びました。旧横浜市庁舎(1959)は、その村野藤吾の数少ない庁舎建築作品のひとつであり、その代表的なものとして位置づけられます。また、旧庁舎は横浜開港100周年事業として起案されたものであり、近隣の歴史的建造物と調和する優れた景観を生み出すなど、横浜の中心市街地において、歴史的、景観的にも大きな役割を果たしてきました。

村野に続く世代にあたる槇文彦(1928~)は、ヒルサイドテラス、スパイラル、幕張メッセやニューヨークの4WTCなど、国内外で現代建築を牽引する影響力のある建築の設計で知られています。ここ横浜でも六大事業の都心部強化事業(みなとみらい地区など)、金沢地先埋立事業(シーサイドタウンなど)に深い関わりがあります。この時期の槇は、田村明ひきいる横浜の街づくりの、「アーバンデザイナー」としての役割を担っていました。北沢猛が2002年に創造都市構想を提案するにあたり、歴史的建造物を残し、そこにクリエイティビティを挿入しながら、街を再生していくことを推進しはじめた時にも、二棟の歴史的建造物(旧第一銀行、旧富士銀行)の再生を担いました。それゆえ、今回の新市庁舎の設計は、横浜の街づくりに長年携わってきた、槇の提案が評価されて実現したものであり、横浜の中心として今後大きな役割を果たしていくことでしょう。

M meets M。ちょうどひと世代の差がある二人の建築家が、ここ横浜の街で出会います。大規模再開発が決まり、一部は保存されますが、惜しまれながら姿が消えていく村野の旧庁舎。一方、6,500人の職員を包括し、横浜の新しい発信基地としてスタートした槇の新市庁舎。2020年、この新旧のリレーが展開されています。この機を捉えて、二人の日本を代表する建築家の展覧会を開催したいと思います。場所は、道路を挟む「旧帝蚕倉庫」と「旧第一銀行」を復元/リノベーションしたアートスペース。二人の偉大な建築家と二棟の歴史的建造物のコラボレーションに是非ご期待ください。広報のご協力等、是非よろしくお願いします。


村野藤吾建築展実行委員会 JIA神奈川、神奈川県建築士会、日本建築学会関東支部神奈川支所、曽我部昌史、松隈 洋、鈴木伸治
槇文彦展開催実行委員会 朝倉健吾、北川フラム、陣内秀信、五十嵐太郎、鈴木伸治


村野藤吾(むらの とうご)
1891年(明治24年)佐賀県に生まれ
1918(大正7年)年に早稲田大学理工学部(建築学科)卒業後、渡邊節建築事務所に入所。1929年(昭和4年)大阪に村野建築事務所(後に村野・森建築事務所)を設立。1984年(昭和59年)兵庫県で逝去(93歳)。
古典様式からモダニズム、和風までさまざまな建築様式の手法を取り入れた独自の作風で、300を超える個性豊かな建築を設計した。
また近代建造物として初めて国宝に指定された迎賓館(旧赤坂離宮)の改修も手がけた。


槇 文彦(まき・ふみひこ)
1928年東京都に生まれる。1952年に東京大学工学部建築学科を卒業し、アメリカのクランブルック美術学院及びハーバード大学大学院の修士課程を修了。その後は、スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル、セルト・ジャクソン建築設計事務所、ワシントン大学のキャンパス・プランニング・オフィスに勤務する。ワシントン大学とハーバード大学で都市デザインの準教授も務める。1965年に帰国、株式会社槇総合計画事務所を設立。40人の所員と共にオフイスを構えながら、東京大学教授を務め、1989年まで教壇に立つ。現在に至るまで日本を含め、国内外で設計活動を続けている。

M meets M 村野藤吾 展 & 槇 文彦 展