【休館】みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ―線の魔術

開催概要

会期
2020年04月25日 〜 2020年06月28日
会場
名古屋市美術館 (愛知県名古屋市中区栄2-17-25 [藝術と科学の杜・白川公園内])
ジャンル
アート
タグ
平面

開催内容

 アール・ヌーヴォーを代表する芸術家アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)。「線の魔術」ともいえる繊細で華やかな作品は人々を魅了し、ミュシャ様式と呼ばれるそのスタイルは、後世のアーティストに影響を与えてきました。
 ミュシャ財団監修による本展は、ミュシャ幼少期の貴重な作品、自身の蔵書や工芸品、20代に手掛けたデザインやイラスト、そしてミュシャの名前を一躍有名にしたポスターなどを通じて、ミュシャの原点と作品の魅力に迫ります。さらに、ミュシャ作品から影響を受けた明治の文芸誌の挿絵から、1960-70年代のイギリス・アメリカを席巻したグラフィック・アート作品、現代の日本のマンガ家やアーティストの作品まで、およそ250点でミュシャ様式の流れをたどります(原画作品保護の観点から、日本のマンガ作品、グラフィック・アート作品は一部複製展示となります)。

[みどころ]
ベル・エポックのパリから現代まで―“みんな”に愛されるミュシャ
ミュシャが紡ぎだした、「線の魔術」ともいえる華やかなポスターは、没後80年経った今なお、世界中の人たちを魅了し続けています。作品を通じて、時代を超えて愛され続けるミュシャという画家の秘密に迫る、これまでにないミュシャ展です。

ミュシャも日本が好きだった!?
本展には、ミュシャ本人がコレクションしていた日本趣味(ジャポニスム)の工芸品なども展示。様々な形で日本美術の影響も受けながら、ポスター画家として一世を風靡するまでの足跡をたどることができます。

こんなところにもミュシャの影響が?
本展で異彩を放つ作品群の一つが、1960-70年代にアメリカやイギリスで発売されたレコード・ジャケットやロック・ポスター。この時代のアーティストたちにミュシャが及ぼした影響を、ぜひご覧ください。

文芸誌のデザインからマンガまで―日本で生き続ける“ミュシャ”
本展でミュシャ作品と並び「目玉」といえるのが、ミュシャに影響を受けた日本の文芸誌やマンガ、イラストの数々です。ミュシャ作品との共通点を探しながら、ぜひ新しい発見を!


[展示構成]
第1章 序―ミュシャ様式へのインスピレーション
アール・ヌーヴォー様式の典型となったミュシャ様式は、特定の美術運動や芸術理論から派生したものではありません。それは祖国独立の夢を抱くチェコ人のミュシャが、ウィーン、ミュンヘン、そしてパリという国際文化都市で画家としての修業を積むうちに、新しい時代の息吹に感応して創り出した独自のデザインの形式でした。
本章はミュシャ財団に残るミュシャのコレクションと蔵書、写真資料などで構成します。「美の殿堂」と呼ばれたミュシャのアトリエは、モラヴィアの工芸品や聖像、ロココ風の家具、日本や中国の美術工芸品などで飾られ、こうした多種多様な美がミュシャのインスピレーションとなっていきました。ここでは、モラヴィアの少年時代からポスター画家として名声を築く1890年代までのミュシャの足取りを追いながら、ミュシャ様式の成立に寄与した様々な要素を検証します。


第2章 ミュシャの手法とコミュニケーションの美学
ミュシャは基本的に「線の画家」です。正規の美術教育を受ける前の幼少期から青年期にかけての素描画に見られる、流麗な描線による日常と空想世界の描写は、のちに手がけるイラストやポスターに使われた、リトグラフという版画技術による印刷表現には理想的なスタイルでした。それはまた、ジャポニスムを牽引した北斎などの日本の浮世絵師や、現代のマンガ家たちの表現法にも通じる要素です。
本章では、ミュシャのイラストレーターとしての仕事に光をあて、ミュシャが描線により、物語世界のエッセンスを読者にどのように伝えようとしたのか、その手法を考察します。ここで紹介する彼の仕事は、1880年代にチェコの雑誌のために手がけた初期の作品から、アール・ヌーヴォーのグラフィック・アーティストとして手がけた本のデザインや、イラスト、雑誌の表紙絵などです。

第3章 ミュシャ様式の「言語」
「より多くの人々が幸福になれば、社会全体も精神的に豊かになる」という考えをもつミュシャが生涯こだわり続けたのは、特権階級のための芸術至上主義的表現ではなく、常に民衆と共にあることでした。そのためには、イラストやポスター等の商業デザインは格好の手段です。普通の人々を美のもつ力で啓発するために、ミュシャは様々な手法を考案しました。エレガントな女性の姿に花などの装飾モティーフを組み合わせ、曲線や円を多用しながら構築された独特な構図の形式「ミュシャ様式」は、画家が人々とコミュニケートするための「言語」でした。
本章は、サラ・ベルナールのための劇場ポスターや装飾パネルを見ながら、ミュシャ様式が成立してゆく過程と、その背後にあるミュシャのデザイン理論を検証します。さらに、プラハ市民会館の壁画に光をあて、ミュシャ様式が祖国での作品の中でどう進化していったかを考察します。

第4章 よみがえるアール・ヌーヴォーとカウンターカルチャー
ミュシャがパリを後にして58年、その死からも24年の歳月を経た1963年、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館でミュシャの回顧展がありました。それと同時進行で、二部に分けられたミュシャ展がロンドンの2つの画廊でも開催されました。冷戦のさなか、西側諸国ではミュシャの記憶は薄れ、パリ時代以降の作品は鉄のカーテンの彼方に埋もれたままでした。しかし、この回顧展がロンドンで巻き起こした旋風は、忘れられていたチェコ人画家の業績を、再び光の下によみがえらせたのです。
これに即座に反応したのが、当時、既成の概念に対峙する若者文化の中心地となっていたロンドンとサンフランシスコのグラフィック・アーティストたちでした。ミュシャの異世界的イメージと独特の線描写は、特にサイケデリック・ロックに代表される形而上的音楽表現と共鳴するものがありました。一方、よみがえったミュシャ様式は、新世代のアメリカン・コミックにも波及し、その影響は今日まで続きます。

第5章 マンガの新たな流れと美の探求
与謝野鉄幹が主宰した『明星』第8号(1900年)の表紙を飾ったのは、一條成美によるミュシャを彷彿とさせる挿絵でした。一條は『新声』に引き抜かれ、『明星』の表紙は藤島武二が引き継ぎますが、これを契機とするかのように明治30年代半ば、文芸誌や女性誌の表紙を、時には全面的な引き写しを含め、ミュシャ、あるいはアール・ヌーヴォーを彷彿とさせる、女性画と装飾からなるイラストレーションが飾ることになります。与謝野晶子の歌集『みだれ髪』の表紙デザインもこのミュシャ的装本の一つですが、重要なのはこれらの雑誌や書籍に用いられた言文一致体や、晶子が象徴する短歌は、近代の女性たちが、獲得したての近代的自我と自らの身体を「ことば」にした新しい表現だったということです。つまり、近代の女性たちの内面と身体の表象として選ばれたのがミュシャ様式の女性画でした。それは『明星』から70年余りを経た1970年代、少女マンガが内面と身体を発見し、ミュシャの系譜としての少女マンガの「絵」に再び導入するまでの、長い前史の始まりです。
ミュシャは近代の女性たちの内面と身体を表現するアイコンとして、この国の文化史の中にあります。

【休館】みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ―線の魔術