郷正助「あの星にいきたい」
会期: 2011-09-15 - 2011-09-25
参加クリエイター:
展覧会詳細
展覧会ジャンル:
アート
展覧会タグ:
平面
開催内容
絵の|花になる
郷正助くんのつくる絵はそれ自体がそれ自体の力で開く花のようだと思う。その絵は具体的な対象を持たない場合が多くて、だから一見いわゆる抽象画のようにみえるけれども、しかし今までのいわゆる抽象の伝統とはまた位相の異なるものであるようにも感じられる。具体的な対象を感じさせる絵の場合でも、それは自然の技、とらわれなく伸び伸びとした成長の、あるいは生き生きとした運動の、その純粋な結実として、つまり描写や比喩ではなく、まさにそれ自体が花のようなものとしてあるように、そしてあるいは終わりのないプロセスの美しい一時のフリーズであるようにみえる。彼の感覚が鋭敏に捉えるもの、ある対象、ある流れ、感情、思索の動き、そのムーブする何ものかに対してその絵はこの上なく厳密であるように感じられて、何か感覚のスーパー・リアリズムとでもいいたくなるような精密さを備えてもいる。それぞれの絵はそれぞれ個々に完結し、独立し、それ以外にはありえないだろうという完成の印象としっかりとした密度をたたえて静かにそっと佇んでいるけれども、いやしかしこれだけじゃないんだという、もっともっといろんな可能性がありうるんだと、まだまだ続きがあるんだという、自由闊達に動きまわれる余裕や余白も同時にそこにたっぷりと感じさせてくれる。僕はこのような絵の世界というもの、このような絵のあり方というものを今まであまり知らなかったし、ましてや間近で目撃したことなどないので、何だか本当に驚いてしまう。それは自分に様々な種類の花が咲き誇る豪奢で静かな庭を連想させる。我々がみたこともないような大きな花をひとつ咲かせてみせたかと思うと、その傍らに本当に小さなささやかな花々を咲かせる。そしてその向こうにはまた別の花を準備している。そのような腕利きの、機敏で気の利く庭師としての、画家。郷くんは絵の具や顔料や画布や、時に石ころやら木切れやら、あるいは日常の中から見つけてきた様々な事物やらを吟味し、あれこれ並べ替え、組み合わせ、緻密に組み上げながら、そこに花が開く時に発露されるような魔法、華やかな気配が立ち上がってくるその瞬間を辛抱強く待ち、根気よく探り、そしてついには的確に掴み出しているように思える。私たちは何よりもまず彼のトライアルがつくりだしたそのリッチでチャーミングな庭を各々が好きなようにのんびりと散策すればいいと思うし、もしかしたらその経験は事後的に私たちに何かを生み出すことの、何かを探求することの深い喜びを強烈に喚起するだろうかとも思う(いや、単に僕自身がそのような何かを痛いほどに強く喚起されたという事実を、ここに正直に記しておく)。そう、星が巡るように、水が落ちて滝になるように、潮の満ち引きのように、そして花が咲くように、絵が描かれる、おそらくはそれで充分なんだと、それだけで充分おもしろいのだと、そのことをとても上手にスマートにわからせてくれるのが郷くんの営為であり、作品世界であると思う。
蓜島伸彦(美術家|愛知県立芸術大学非常勤講師)