吉見庄助

creator avotor 吉見庄助 ヨシミショウスケ
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プロフィール
1906 宮城県白石市生まれ
1927 上京し、川端画学校洋画部に入学。
1932 洋裁学校を経営していた長姉の縁で台湾に渡る。
1933 帰国し、川島に師事する。川島の主宰する「金曜会」に入会し、山口薫、難波田龍起ら多くの先輩と出会う。

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1934 第九回国画会に入選。               
   川島と共に満州国熱河(現・中国河北省)を旅し、制作する。
1935 難波田ら6名で「フォルム」を結成。
   作品展を開催し、評論家や画家たちに注目され、個人的には第四回展に出品した〈高架線〉が高い評価を受ける。
1936 「自由美術家協会」の創設に参加。翌年から展覧会に出品。 
1937 台湾に再び渡る。
1945 終戦により、台北の自宅に復員。
1946 台湾より引き揚げ、白石に帰る。
1948 新制宮城県白石高等学校講師となる。
   宮城輝夫らと「白石造型美術展」(後に「東北造型美術展」と改称)を創立し、展覧会を開催。
1953 宮城らと「エスプリ・ヌーボー」を新たに結成し、仙台における前衛美術の先駆的役割を果たす。
1960 白石高等学校教諭の辞令を受ける。
   蔵王登山を始め、山の写生千枚を目指して描き始める。
1966 待望の樹氷に初めて接し、その魔力の虜となる。以降、樹氷を描き続ける。  
1967 白石高等学校を退職し、三島学園女子大学高等学校(現・東北生活文化大学高等学校)の教諭となる。
1968 最初の「蔵王樹氷展」を開催(白石市川俣洋品店)。
   『樹氷-詩と絵とオブジェ』を出版。
1969 三島学園女子大学(現・東北生活文化大学)生活美術学科の嘱託講師となる。78年より教授。
1975 「吉見庄助展」を東京銀座のギャラリー三番街で開催。
1977 「現代美術のパイオニア展」(東京セントラル美術館)に、〈高架線〉の出品を依頼される。
1983 『吉見庄助画集』出版し、記念に「吉見庄助展」を県民ギャラリーで開催(宮城県美術館)。
1987 三島学園女子大学を退職。
1988 宮城県教育文化功労者の表彰を受ける。
2001 「吉見庄助風景画展」を開催(晩翠画廊)。
2006 スケッチを中心に活発な制作活動を続ける。
他  展覧会への出品、個展開催多数
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