吉田博

creator avotor 吉田博 ヨシダヒロシ
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明治9(1876)年 9月19日、旧久留米藩士の上田束秀之の次男として福岡県久留米市に生まれる。
明治24(1891)年 福岡県尋常中学修猷館の図画教師吉田嘉三郎にその画才を見込まれ、吉田家の養子となる。
明治26(1893)年 京都に行き、嘉三郎の先師田村宗立の画塾明治画学館に入門。この頃出会った三宅克己の水彩画を見て感銘を受ける。
明治27(1894)年 上京し、小山正太郎の画塾不同舎に入門。後に、日本初の洋画団体である明治美術会の会員となる。
明治32(1899)年 初めて渡米、1901年の帰国まで、デトロイト美術館などで不同舎仲間と展覧会を開き大成功をおさめる。1900年に訪れたパリ万博で褒賞を得る。
明治35(1902)年 明治美術会が太平洋画会に改名。中心メンバーの博が名づけ親。
明治36(1903)年 義妹ふじをとともに、2回目の渡米。各地で2人展を開催し好評を博す。ヨーロッパ各地を旅しエジプトを経て1907年に帰国。
明治40(1907)年 義妹ふじをと結婚。東京府勧業博覧会と文部省美術展覧会(文展)に入賞。
大正10(1921)年 渡邊版画店から最初の本格的木版画「牧場の午後」を出版。
大正12(1923)年 関東大震災のため、版木、木版画を全て消失。ふじをと3回目の渡米。
昭和 5(1930)年 4回目の渡航。長男遠志を伴いインドへ。
昭和11(1936)年 同士とともに日本山岳画協会を結成。5回目の渡航として、韓国・中国に写生旅行。
昭和13(1938)年 従軍画家として中国に向け出発。
昭和20(1945)年 マッカーサー夫人の来訪など、自宅は米軍のクラブ風となる。
昭和22(1947)年 太平洋画会の会長となる。
昭和25(1950)年 4月5日、新宿区下落合の自宅にて永眠

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