プロフィール:
1937 - 2003
1937 横浜生まれ、日大芸術学部写真科 卒業
大学在学中よりその才能を認められ、商業写真家として活動を開始
以降、国内はもとより海外でも一線で活躍していました。また、それと並行して写真作家としての創作活動も旺盛に行なっていた
1963 「モード・イン」「黒」に対して日本写真協会賞新人賞、日本写真批評家協会新人賞を受賞
60年代、70年代に「射」「亜」「檻」「壁」を発表
80年代に山口小夜子を被写体に「小夜子」「月」を 発表し、講談社出版文化賞を受賞
1989 「光銀事件」が伊奈信男賞を受賞
90年代にはバウハウスのオスカーシュレンマーの舞踏トリアディック・バレーをカラーソラリゼーションで表現した「時間の庭」、20世紀初頭の技法プラチナプリントを用いた「エロスの部屋」、写真技法を総動員し制作された「光学異性体」を発表
また未発表作品として、独自に制作されたオブジェを捉えた「マンレイ・オマージュ」等がある
自己紹介:
学生時代に資生堂の仕事を手掛けて頭角を現し、卒業後はフリーとなって活躍する。資生堂のポスターは次々と反響を呼んで瞬く間に広告写真の金字塔となり、その後も飛ぶ鳥を落とす勢いでファッションフォト、シリアスフォトを先駆した。「俺がはじめて嫉妬した写真家だった」と当時電通にいた荒木経惟が言うように誰も真似ができない写真を撮る早熟の天才だったのである。70年後半以降の山口小夜子と山海塾のコラボ作品、また三宅一生のブランドイメージに携わった作品群、そしてドイツ、イタリアン、フレンチヴォーグの最初の日本人カメラマンとして、活躍の場を世界に拡げてゆく。華々しい広告の世界で名声を上げ羨望されたのは、その質の高い作品を追い続ける横須賀の写真に対する執念に他ならない。そして、そうした作品を発表する背景には、横須賀のプライベートワークに残された作品が饒舌に語りかけてくるのである。
作品ジャンル:
写真
タグ:
写真