植田正治

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写真雑誌のコンテストでも多数の入選を得る。1950年代主流となったリアリズム運動などで演出写真は中断するが、1971年の写真集『童暦』の刊行によって再評価の機運が内外で高まる。特にヨーロッパでの評価が高く、1978年と1983年にアルル国際写真フェスティバルに招待。数ある作品の中でも、鳥取砂丘を舞台にした「砂丘シリーズ」はよく知られている。植田作品は人をオブジェのように配する構図や、逆に物を擬人化するなどの特徴を持つ。1994年 福山雅治の「HELLO」のCDジャケットを手がける。

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プロフィール
1913 鳥取県西伯郡境町(現境港市)に生まれる。
1925 鳥取県立米子中学校入学 中学3年生の頃から、写真に夢中になる
1931 鳥取県立米子中学校卒業後、米子写友会入会
1932 上京し、オリエンタル写真学校に入学。卒業後、郷里に帰り19歳で営業写真館を開業

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1932 日本光画協会会員となる この頃より、写真雑誌や展覧会に次々と入選し、頭角を表していく
1937 中国写真家集団創立同人となる。以後同集団東京展に精力的に作品を発表し、《少女四態》などの群像演出写真が注目される
1947 銀龍社に参加
1949 この年に発表した「綴方・私の家族」のシリーズをはじめ、砂浜や砂丘を舞台とした作品で高い評価を得る
1954 第2回二科賞受賞
1958 ニューヨーク近代美術館でのエドワード・スタイケンによる企画展に出品
1971 写真集『童暦』刊行
1974 この年から12年間にわたり「小さい伝記」が雑誌『カメラ毎日』に掲載される
1975-1994 第25回日本写真家協会賞年度賞受賞。九州産業大学教授(待遇)に就任
1978 文化庁創設10周年記念功労者表彰を受ける
1978 この年と1987年にフランスのアルル・フォト・フェスティバルに招待される
1980 風景の光景」展を開催
1982 西ドイツ「フォトキナ写真展」に選ばれる
1993 東京で大規模な個展が開催されるなど国内外で多数の展覧会が開催される
1995 鳥取県西伯郡岸本町(現:伯耆町)に植田正治写真美術館開館
1996 フランス共和国芸術文化勲章シュヴァリエ受章
1998 第1回鳥取県県民功績賞受賞
2000 7月4日、死去 享年88
2005-2008 ヨーロッパで大規模な回顧展が巡回、近年さらに評価が高まっている
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