須田剋太(SUDA Kokuta)
プロフィール
(1906〜1990)
1906(明治39)年、埼玉県北足立郡吹上村(現・鴻巣市)に生まれる。本名・勝三郎。村立吹上尋常高等小学校卒業後、埼玉県立熊谷中学校に入学するも腎臓を患い3年間休学し、軽井沢で転地療養する。1927(昭和2)年3月、埼玉県立熊谷中学校を卒業し東京美術学校を受験するが不合格。その後も毎年受験を続けるが4度続けて不合格となり、浦和(現・さいたま市)の別所沼のほとりに画室を建てて暮らす。1934(昭和10)年頃、画家の寺内萬治郎に光風会への入会を勧められ、その後光風会や文展等に相次いで入選する。
1941(昭和16)年、憧れていた関西に転居。1942(昭和17)年、第5回新文展で《神将》が特選となる。東大寺観音院住職の上司海雲と出会い、観音院の土蔵の一部を改造してアトリエとして提供してもらう。1946(昭和21)年、奈良に集う美術家や宗教家による「天平乃会」発足に参加。1947(昭和22)年、《ピンクのターバン》が第3回日展で特選となる。翌年、美学者・井島勉の知友による「転石会」の会員となり、画家・長谷川三郎の知遇を得る。この出会いは剋太の造形と精神の双方に大きな影響を与え、抽象絵画へと向かうきっかけとなった。1949(昭和24)年、国画会会員となり1988年に退会するまで毎年出品。翌年に個展を開催して以後、数多くの個展や国際展へ出品するとともに、『書の美』に発表された「原始と書」などの書画論も多く執筆する。1971(昭和46)年、『週刊朝日』ではじまった司馬遼太郎の連載「街道をゆく」の挿絵を担当し、1990年までの約20年間制作を続けた。晩年、埼玉県立近代美術館、飯田市立美術博物館、大阪府にそれぞれ作品を寄贈。大阪府は「街道をゆく」挿絵および抽象画を2,228点収蔵している。
- 作品ジャンル
- アート
- タグ
- 平面
開催中・開催予定の展覧会
- 生誕120年記念 須田剋太展 私は造型になりたい!(2026年10月16日 〜 2026年11月14日)