Odilon Redon

Odilon Redon オディロン・ルドン
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1840年、ボルドーの生まれ。本名はベルトラン・ジャン・ルドン。父ベルトラン・ルドンの名からもらい命名されたが、母マリーの通称「オディール」に由来する「オディロン」の愛称で呼ばれ、本人も周囲も終生オディロンと呼ぶことになる。
裕福な家庭であったが、生後2日目にボルドー近郊のペイルルバードへ里子に出され、11歳までの少年期を寂しい田舎の地で親元を離れて過ごしたとされる。病弱で内向的な子供だったという。子供の頃から絵を書き始めるが、父親の意向もあって建築家となるべくエコール・デ・ボザールの試験を受けるが不合格となり、建築の道は諦めることになる。弟のガストン・ルドンは後に建築家となった。
20歳の頃植物学者アルマン・クラヴォーと知り合い、顕微鏡下の世界に魅せられるようになる。後にルドンが制作した版画には植物学の影響が見られ、版画集『夢の中で』はクラヴォーに捧げたものである。
1864年パリに出てジャン=レオン・ジェロームに入門するが数か月でやめ、ボルドーに戻って放浪のボヘミアン画家として知られた銅版画家ロドルフ・ブレダンの指導を受ける。また、1878年頃にアンリ・ファンタン=ラトゥールから石版画(リトグラフ)の指導を受ける。
1870年、普仏戦争に従軍。1872年からパリに定住する。1879年、初の石版画集『夢の中で』を刊行した。
1880年結婚。1882年ル・ゴーロワ新聞社で木炭画と版画による個展を開催。ユイスマンスらに注目される。エドガー・アラン・ポーの作品を意識した二番目の石版画集『エドガー・ポーに』刊行。
1886年長男ジャンが生まれるが、僅か半年で亡くなる。1889年次男アリが生まれる。1890年頃からそれまでの作品と打って変わって、作品に豊かな色彩を用いるようになる。
1913年にはアメリカのアーモリー・ショー(アメリカにおけるヨーロッパ現代美術紹介の展示で、マルセル・デュシャンも出品していた)で1室を与えられ、展示した。
1916年感冒をこじらせパリの自宅で死去。

出典Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%B3

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