プロフィール:
1976年 滋賀県生まれ
2002年 京都造形芸術大学通信部デザイン科情報デザインコース、
京都芸術デザイン専門学校情報デザイン総合コース(併修制)病気により中退
【バイオグラフィ】
眞野丘秋は滋賀県の高校の美術教師である父と、音楽家の母のもとに生まれ、幼い頃から芸術や哲学に囲まれた環境で育った。少年期は勉学やスポーツに熱心に励み、中国の思想書や自然をこよなく愛した。10歳の時に家族旅行で訪れたイタリア・フィレンツェの建築美術や、スペイン・マドリードの美術館で観たピカソの「ゲルニカ」は、幼い彼に強烈な印象を残した。
高校卒業後、彼は様々なジャンルのミュージシャンやアーティスト達と交流し、19歳でアジア各地へ放浪の旅に出た。彼は旅先のネパールで神秘体験(クンダリーニの昇華)を経験し、意識が覚醒したが、そのことによって現実社会との接点を失い、次第に精神のバランスを失うようになった。彼は25歳の時に重度のうつ病を発症し、1年半の間、寝たきりになったが、それを乗り越え、現在は精力的にアート活動を続けている。
彼のアートはアクリル画をメインにして、写真、エッセイ、小説など、幅広い表現を展開している。彼は人生そのものを一つの作品として捉えており、日常生活そのものが制作のプロセスである。彼にとって絵画などのアート作品の制作は、食べたり寝たりすることと同じく、ごく自然な行為である。
彼は絵画を制作する際、全身で宇宙のエネルギーを掴み取り、頭を空にした状態で、肉体の欲求に従い、自動描画で行う。彼の意識は霊的世界と繋がっており、生み出される作品は強烈な色彩を放つ。
彼はアートを通して地球上にはまだ存在していない未知のエネルギーを地上に降ろし、光を定着させ、人びとに希望を与えると同時に地球の波動を上昇させる。その結果として、地上に新たな楽園が創造されるだろう。
自己紹介:
'06年よりロンドン、パリ、ニューヨーク、ベルリン、ローマ、マイアミ、シドニー、東京などの世界主要都市にて、グループ展、アートフェア、国際交流展に多数出展。
'07年より東京、大阪、ベルリン、上海、ニューヨークなどで個展を多数開催。写真集やエッセイ、小説なども出版し、幅広い分野で表現活動をしている。著書多数。
【ステートメント】
私は20歳前後で社会からドロップアウトしたアウトサイダーであり、独学でアートや絵の描き方を学んだ、セルフトート・アーティストである。
私の表現手段は主にアクリル抽象画であるが、絵画の他にも写真集や小説、エッセイなどを出版し、幅広いアート活動を続けている。
私は ”アート=生きること” と定義しており、人間が生きるにあたって遭遇する、ありとあらゆる事項や事象を取り扱う。作品を制作する際にベースになっているのは、中国の道教思想(タオイズム)である。
この世界一切は道(タオ)でり、大いなる存在(神・空・絶対無限の存在)の表れであり、 人間もまた、大いなる存在の創造物である。 そして万物は、大いなる存在の可能性と創造性により、あるがままに移ろい、流れていく――
そういった意味で、絵画作品においては、画面をできる限り人為的、人工的に操作せず、 高度な技術によって作品を支配しようとせず、あるがままに、自身の内から沸き起こる色彩や形態、エネルギーを、直接的に表すことを試みている。 言い換えれば、私が描く絵画作品は、内なる世界(内的宇宙)が表層の物質世界に表れたものだといえる。
また、写真作品に至っては、スナップによるストレート・フォトを専門としている。どのカメラ(道具)を選ぶか、いつ、どの場所で、何を撮るのか、すべては大いなる存在に、自動的に動かされる形で、シンクロニシティー(共時性)によって決定していく。
写真作品においても、高度な技術に依拠することなく、あるがままの状態で、必然的、衝動的にシャッターを切る。
また、私が執筆する文芸作品においても、同じことが言える。
大いなる存在を感じ、あるいは大いなる存在と一体化し、作品は自動的、偶発的(必然的)に出来上がる。
総じて述べれば、私は宇宙のエネルギーを第六感によって掴み取り、五感を司る肉体で感じ、地球に未だ存在していない未知のエネルギーを下ろす。それらのエネルギーは愛であり、光と癒しである。目に見えない、不可視のエネルギーを色や形や言葉にして地上に表し、定着させ、地球の波動を上昇させ、人類に僅かなりとも希望や光を見出してもらうことを、私のアート活動の目的としている。
作品ジャンル:
アート
タグ:
文筆・文芸作品
ペインティング
アクリル画
平面
絵画
現代アート
洋画