1950年代後半よりピカソ、ジャン・コクトーの知己を得励ましを受ける。1956年波のヌード作品で一躍脚光を浴び、1957年記念碑的作品集「記憶される肉体」が出版(ポール・エリュアール詩/コクトー序文/ピカソ表紙デザイン)された。1961年にはニューヨーク近代美術館でエドワード・スタイケンが選出した「石元泰博、ビル・ブラント、ルシアン・クレルグ」3人展が開催される。同時代に15本の短編映画と2本の中編映画も制作。ピカソの晩年30年間を描いた「ピカソ、戦争、愛と平和」でも評価を得る。現在世界的となっているアルル写真フェスティバルの創立者の一人でもあり、以後ディレクターとして1970年代を通じアルルで活動してきた。写真家としての知名度とともに、この写真フェスティバルへの貢献でも知られ、1980年に写真貢献者としてフランスのレジョン・ドヌール、シュバリエ勲章が授与された。没2014年
最近見た展覧会はありません。
クリップした展覧会はありません。