池田満寿夫

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1934年、旧満洲国奉天市に生まれる。1945年、中国・張家口で終戦を迎え、母の郷里長野市に帰国。
芸大を数度受験して失敗。東京に出て油彩絵画の他、版画の技法を瑛九に学んだが、自己流を通した。
版画作品が評価されるようになったのは、東京国際版画ビエンナーレ展で日本人審査員は全く評価しなかったが、ドイツ人美術評論家でもあるヴィル・グローマン博士の「ここに東洋がある。日本の能面に通じる簡潔な美がある」と〝東洋の影〟を指摘して絶賛を浴びる。そのドライポイントを主にした版画が、ヴェネチア・ビエンナーレ版画部門でも評価を受けると共に、アメリカに招聘され、イーストハンプトンにアトリエを構える。その後、1977年に衆知の小説「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞受賞。続いて同作品の映画化で監督。音楽を担当したのがパートナーでヴァイオリニストの佐藤陽子である。その多才ぶりに当時、話題をさらい時の人となる。その後、陶芸界にも挑戦し多数の作品を発表。1997年(63歳)急性心不全で死去。死後、新聞各紙には「多才さが日本での評価を妨げ」など池田満寿夫を惜しむ美術評論家らの追悼文が掲載された。

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プロフィール
1934 旧満州国奉天(現・中国遼寧省)生まれ
1945 中国・張家口で終戦を迎え、母の郷里長野市に帰国
1952 長野北高等学校を卒業後、上京
    東京芸術大学の受験に3回失敗 独学の画家の道を歩む

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1956 瑛九の助言で色彩銅版画を始める
1968-1975 東京、ニューヨークにアトリエを持つ
1982 熱海市に移り住み,作陶を始める
1993 山梨県増穂町に独自な「満寿夫八方窯」を築窯
1997 63歳で逝去
    長野県松代に池田満寿夫美術館開館

[受賞歴]
1960 第2回東京国際版画ビエンナーレ展で文部大臣賞受賞
1961 第2回パリ青年ビエンナーレ展で優秀賞受賞
1962 第3回東京国際版画ビエンナーレ展で東京都都知事賞受賞 
1964 第4回東京国際版画ビエンナーレ展で国立近代美術館賞受賞3回の連続受賞により国内の評価が確かなものとなる
1966 第1回クラクフ国際版画ビエンナーレ展入賞
1966 第33回ヴェネツィア・ビエンナーレ展版画部門国際大賞受賞
1967 第17回芸術選奨文部大臣賞受賞
1969 第8回国際版画展ユーゴスラビア芸術アカデミー賞受賞
1970 第3回クラクフ国際版画ビエンナーレ展入賞
1970 第17回アメリカ国内版画展入賞
1977 「エーゲ海に捧ぐ」で 第77回芥川賞受賞

[展覧会・その他]
1965 ニューヨーク近代美術館で同館収蔵品で個展
1966 第33回ベネチア・ビエンナーレ日本代表
1967 第17回文部省芸術選奨文部大臣賞受賞
1967 ベルリンへ留学 ヨーロッパ各地で個展
1978 自らの脚本・監督で映画「エーゲ海に捧ぐ」製作
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