橋本関雪

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1883年11月10日 - 1945年2月26日
関雪というのは画号であり藤原兼家が雪降る逢坂の関を越える夢を見、その話を聞いた大江匡衡は「関は関白の関の字、雪は白の字。必ず関白に至り給ふべし」と夢占いをしたという。果たして翌年、兼家は関白の宣旨を蒙ったという故事より父である海関が名付けたもの。
父から漢学を学び1903年、竹内栖鳳の竹杖会(ちくじょうかい)に入り1913年、文展で二等賞、翌年も同じ。1916年と翌年、特選を受賞。帝展審査員を務め1934年、帝室技芸員、1935年、帝国美術院会員、1937年、帝国芸術院会員、1940年、建仁寺襖絵を製作。
中国古典に精通したことでも知られ、たびたび中国へ渡った。京都銀閣寺畔の白沙村荘に住み、白沙村人と別号した。白沙村荘の庭園は現在一般公開されている。庭を営むことが多く大津に走井居、明石に蟹紅鱸白荘、宝塚に冬花庵という別邸を造営した。また、古今東西の古美術の蒐集においてもよく知られる。
1945年に没し画号の由来となった逢坂の関にある、別邸走井居(月心寺)の墓地に眠る。

出典Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E6%9C%AC%E9%96%A2%E9%9B%AA

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