自分一人が作らなくても世の中には何も困らないとは知りつつも、どうしても作り続けてしまう、作り続けること意外において、リアリティのある時間が持てないということも悩みとしてはあったが、そのうちに作ったものを持ってくれたり、使ってくれる人が出てきはじめて、これでよかったのかもとようやくここ1,2年くらい前から自身の制作も肯定できるようになってきたと感じている。
大きな変化が訪れたのは、長く暮らして働いてきた大阪を2010年に離れ、東京に移り住んだことと、2011年に東日本大震が起こったということもある。同じ日本とはいえ、大阪と東京では文化も異なり、仕事もやめ、ここからまた1から積み上げて行かなければならない重さとなかなかうまくいかない憤りも感じていた。そんな日々のなか震災があり、あたりまえのこと、たとえば制作を続けるのならば絶対的な作品の質、量ともに足りていないと自覚もし、何よりまず手を動かし作ることからわかることを見つめて、足で場を見て、人と会うという基本的な努力こそが大切なのではないかと感じるようになった。
陶でも、平面でも根底にながれる言いたいことはいつでも一つであり、多くの流れの中に立ち平均値を叩き出せることはとても尊いことだと常日頃より私も目標とはしているのだが、そうはいっても、人間もまたいきものであり、個体差もある。そこから数ミリそれていても、マイノリティーとなっても受け入れることのできる社会や人であることへの願いがある。手を動かし、作り続けることで亀の歩みであっても何かに気づき、かえりみて、まわりに感謝の思いは忘れないように進んでいきたいと思います。
web |
http://hoshias.jimdo.com/ | X(Twitter) |
http://twitter.com/hoshias |
---|
最近見た展覧会はありません。
クリップした展覧会はありません。