1857-1927
1857年フランス南西地方ボルドー近郊のドリブルヌ生まれです。 馬車製造職人の家に生まれた彼は幼くして両親を亡くします。
水夫を経験後パリの国立演劇学校で学び、役者などの職を経験した後にデッサンや絵を描くようになります。写真は1888年頃から撮影を開始したと言われています。
30年以上に渡って商業写真家であった彼はまず画家やイラストレーターが絵に使用する資料用写真を撮影し販売しました。彼の顧客にはマン・レイ、ドラン、 ユトリロ、フジタなどがいたそうです。
世紀が変る中、特に消えかかる19世紀の雰囲気が残る風景やパリの職人、商人の生活を中心に撮影しました。やがて、古いパリを体系的に記録するプログラムを 生み出します。彼は街の構成要素のすべてを丹念に写し、記念建造物、ベルサイユなどのパリ郊外の公園、ルーブル美術館の展示室を撮影しています。
プリントやネガは個人以外にフランス国立図書館、パリ市歴史図書館などにも販売しています。1920年までに国家が彼のネガ2621枚を買い上げています。
1920年代に超現実主義のアーティストが関心を示し、 マン・レイが雑誌“La Revolution Surrealiste(超現実主義革命)”にアジェの 写真を取り上げます。しかし美的な価値よりも記録の集積に価値を置いていたアジェは考え方の違いを感じ、作者名を公表させませんでした。
死の直前の1925年、マン・レイに写真を習っていた若い米国人アーティストのベレニス・アボットと出合い、彼女はアジェの写真に熱狂します。アボットは自身が撮影した老いたアジェの写真とともにその後彼を世界中に紹介することになります。
助手や弟子もなく、作品展示もせず、当時流行の写真クラブにも属さなかったアジェは放浪者同然の流しの写真家であったという伝説すら誕生しています。1927年に亡くなったときは全く無名でしたが、その作品は多くの後世の写真家に影響を与えることになります。彼の死後、アボットはフランス政府が1920年以降に購入した2000点のネガを除く残りすべて約1300点のアジェのネガ、ポジ、アルバムを購入します。その後、コレクションは 1968年ニューヨーク近代美術館が購入し世界唯一のコレクションを形成しています。
(出典元: Art Photo Site http://www.artphoto-site.com/story34.html)
[ウジェーヌ・アジェについて]
33歳の頃に画家を目指すも断念。その後、職業写真家を志し、芸術家や装飾家の制作の資料となる写真やパリの街並みや職人の姿、郊外の風景を撮影する。歴史的建造物、古い街並、店先、庭園、そこに住まう人々など、変わりゆく「古きパリ」を丹念 に撮影した。それらの写真は、パリの貴重な記録として、図書館や博物館に収められた。貴族の館から下層社会の人々の生活まで撮影したアジェは、率直で素朴な目で現実を捉え、現実を超えた世界を引き出した芸術家とみなされたのです。この事態のきっかけは、アジェとマン・レイの偶然の出逢いでした。アジェの近所に居を構えていたマン・レイは、その写真の魅力を見抜いて機関紙『シュルレアリスム革命』に掲載し、前衛芸術家の仲間たちへ写真を広めたのです。この頃から、アジェの作家性にスポットライトが当たりはじめ、 この後、マン・レイのアシスタントを務めていたベレニス・アボットによりアジェの存在は世界に波及していきます。また、アジェの死後、散逸の危機にあったプリントやガラス乾板を、もうひとりの貢献者であるニューヨークのギャラリスト、ジュリアン・レヴィの助けを借りて買い取り、アメリカでアジェの芸術性を広めていき、「近代写真の父」と称されるまでに評価が高まりました。『写真家の税関吏ルソーとまで呼ばれた』その作品の魅力をお楽しみください。
最近見た展覧会はありません。
クリップした展覧会はありません。