Cecco Bonanotte

creator avotor Cecco Bonanotte チェッコ・ボナノッテ
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プロフィール
1942 8月24日にイタリア・マルケ州のポルト・レカナーティに生まれる
1959 ローマに移る。ローマ国立美術学校(ローマアカデミー)の彫刻科に学ぶ
1960 第1回イタリア学生美術展に出品。同展出品の彫刻作品で受賞する。この展覧会の審査には、ジョルジオ・デ・キリコ、
    彫刻家のペリクレ・ファッツィーニ、詩人のジュセッペ・ウンガレッティなどがあたっていた。

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     ローマの同じ美術学校に在籍していたマリア・アントニエッタ・デ・ミトリオと出会い、1964年に結婚する。
1964 ルーマニア共和国政府から国際奨学金を取得。 ブカレスト造形美術高等研究所に学ぶ。
    ルーマニア人彫刻家コンスタンティン・ブランクーシが初期の足跡を追い求めながら、オーストリア、ハンガリーを巡ってルーマニアへ向かう。
    彼の後の人生においてこの留学は極めて重要な経験となる。 ブリュッセル建築装飾美術研究所から奨学金を取得。
1965 学業を終えた後、ローマ国立美術学校と付属美術高等学校で、素描と装飾造形の教鞭を取る。 ローマの中心部、カノーヴァ通りに
    アトリエを持ち、(以前アントニオ・カノーヴァ[1757-1822]の鋳造所のあった場所)、画家のホセ・オルテガやラッファエール・アルベルティ、
    セルジオ・セルヴァ、彫刻家のペリクレ・ファッツィーニら数多くの芸術家仲間を招く。
1971 ローマのシュナイダー画廊で初個展。 藤井公博と出会う。 彼の作品はアメリカの収集家と当時、大阪フォルム画廊の藤井公博に
    購入される。これが日本との初の交流のきっかけとなり、また作家にとって大きな大きな展開を迎えることになる。
    藤井公博はその後ヒロ画廊を設立し、今日においてもボナノッテのメインの取り扱い画廊である。
    ハワイのミラリーニ・タウンにある使徒ヨハネ教会から、2点の彫刻制作依頼を受ける。
1972 クレモナの病院のブロンズ正面扉のコンペで選ばれる。この《キリストの昇天》をテーマにしたブロンズの扉は、ボナノッテの最初の扉の
    仕事となる。この仕事によりボナノッテは、三次元の彫刻の世界に絵画空間に似た二次元的手法を取り入れることを見出す。
1974 ミケランジェロ祝典のために《スカルプチュア・ポリマテリアル》を制作する。この作品はミケランジェロの生地カプレーゼにあるミケランジェロ
    生地博物館に設置される。銅で作られた帆を背景に、石で作られた二人の人物、ブロンズで造られた二羽の鳥といった異なる種類の素材を
    使用し、ボナノッテの作品の中心的なテーマである「対照」が表現されている。
1975 沖縄海洋博覧会に出品。彫刻《飛翔―期待 1975》がイタリア現代美術の代表作として、同国パヴィリオンに展示される。
    同博覧会記念メダル委託制作を受ける。初めての日本旅行、沖縄に行く。 大阪フォルム画廊が「チェッコ・ボナノッテ」展を企画・開催。
    同個展のオープニングのために、東京へ向かう。 ローマの聖パウロ教会の異なる扉のために《イル・フォルツィエーレ》を制作。
    この作品は現在、教皇パウロ六世が聖かリストのカタコンペに寄贈した作品《燈明》とともに、ヴァチカン市国の宝物庫に保管されている。
1976 沖縄海洋博覧会の出品作品《飛翔―期待 1975》が、イタリア大使館(東京)に設置される。 カノーヴァ通りのアトリエを引き払い、
    緑におおわれたローマ近郊の農家に移り住む。 ルクセンブルグのイブ画廊で個展を開催。
1977 ウィーンのバジリスク画廊で個展を開催。 ヒロ画廊での個展のために東京へ行く。
1978 「イカーロ賞」を受賞。受賞作品《イカロス》は、自然と調和したふさわしい彫刻として選考され、ローマの電気通信省に設置される。
1979 フィレンツェのミショウ画廊で個展。 1977年に行われた教皇パウロ六世生誕80年を祝って行われた「現代芸術の中の聖パウロ」展と同時に
    開催される予定であった「精神の証人」展が開催。ボナノッテは墨で描いた肖像画を出品。現在、ヴァチカン市国の図書館に収蔵されている。
    ソウルの空間美術館での個展のために、韓国を再訪。彫刻作品《男と鳥》が、東京の韓国大使館に設置される。作家のテーマである
    人間と自然との関係を「対照」という形での表現を追及する。
1980 ヒロ画廊企画「チェッコ・ボナノッテ彫刻」展以下巡回:仙台・丸善仙台一番町店画廊、東京・ギャラリーミキモト、福岡・福岡画廊、
    神戸・ぎゃるりー神戸、名古屋・伽藍洞ギャラリー(翌年1月)。同個展のために日本に滞在。
1982 ヒロ画廊企画「小品による―チェッコ・ボナノッテ彫刻」展が以下巡回:東京・ギャラリーミキモト、大阪・渓苔洞画廊。
1983 アジア諸国を訪れ、極東の空間、色彩に魅了される。
1984 トロントのイタリア文化会館開館に際して、個展を開催。
    同展は以下を巡回:モンロリオール・エスペランツァ画廊、オタワ・モンカム=フル画廊。
1985 この年に20年間にわたるローマ国立美術学校(ローマアカデミー)の教授を退き、作品制作に専念することを決意する。
    マニラのメトロポリタン美術館で個展。そのためにフィリピンに滞在。 バンクーバーのチャールズ・Hスコット画廊で個展。
    モントリオール・エスペランツァ画廊で個展。 ヒロ画廊(東京)で個展。 教皇ヨハネ・パウロⅡ世が、ヴァチカン美術館所蔵のボナノッテ彫刻
    作品《聖パウロの旅》を国際連合に寄付する。教皇のケニア訪問中に、その首都ナイロビの国連ビルにこの作品が設置される。
1986 ソウルを再訪する。ソウルのキュン・イン・ギャラリーで個展。ソウルの新イタリア文化会館とイタリア大使館に《対照Ⅰ》と
    《ミクストメディア》が設置される。 スポレートの「三つの世界祭」の南半球版を導入したヴィクトリアン・アーツ・センターで個展。
    キャンベラのイタリア大使館に《綱渡り師たち》が設置される。フィレンツェのメディチ国際アカデミーから、具象芸術で「大ロレンツォ賞」を
    授与される。
1987 ローマにあるイタリア共和国上院「パラッツォ・マダーマ」に、ブロンズ作品《対話》が設置される。 オーストラリアの新国会議事堂に設置する
    彫刻の制作準備のためにキャンベラに旅行、建設予定地を視察する。
1988 テルアヴィヴのヘルツリヤ美術館で個展。同展のためにイスラエルに向かう。 この個展はイスタンブールの美術館へ巡回。
    同展開催のためにトルコに向かう。 カナダ、アメリカ、日本、韓国、中国を訪問。シカゴと韓国で展覧会を開くように誘いを受ける。
    パリのボ・レザール画廊で個展。同展開催のためにフランスへ向かう。ソウルの国立現代美術館での個展のために、韓国へ向かう。 生地で
    制作された大型円形彫刻《対話》が、オーストラリア建国200年に際して、イタリア議会からキャンベラの新国会議事堂に寄贈される。
1989 シカゴのレナータ画廊で個展。同展のためにアメリカへ旅行。 日本テレビ放送網と美術館連絡協議会より巡回展の誘いを受ける。
    シエナのヴィッラ・カステリの城の入口にブロンズ製扉《男と自然》を制作。この作品は後の豊田市中央図書館の「ミューズたち」と
    ヴァチカン美術館の「新しい扉」の形態の基となる。
1990 ケルンのシュトシュタット画廊で個展。巡回展「ボナノッテの世界」展が開催される。以下巡回:富山県立近代美術館、下関市立美術館、
    京都文化博物館、小田急グランドギャラリー・東京
1991 下関市立美術館より彫刻の制作を依頼される。作品は高さ10mの《綱渡り師たち》、同美術館に設置。
1992 トロントのアート・ダイアログ画廊で個展。 大分県佐伯市より、噴水のための彫刻3点を依頼される。同市総合運動公園に《男―女―竹》が
    設置される。
1993 香港美術祭に参加、ロダンダにて個展。
1994 日本テレビ放送網と美術館連絡協議会より、新たに1997年から1998年に掛けて全国5ヶ所の主要美術館を巡回する展覧会の誘いを受ける。
    ポルト・レカナーティの教会の大正門《昇天》を制作、設置。
1995 息子のフランチェスコマリア、ピエール・パオロマリアとともに佐賀県鳥栖市の中冨記念くすり博物館の建築プロジェクトを完成させる。
    また、同博物館にブロンズ立体レリーフ《生命の種子》を制作、設置される。この作品は異なる種類の金属ポリマテリアルを駆使して、
    ボナノッテの作品の主題である「種子」「綱渡り師たち」「対照」「対話」「飛翔」「期待」といったすべてが大きな6つのパネルの中に凝縮され、
    力強く表現されている。
1996 佐賀県の快適な建築推進協議会より中冨記念くすり博物館の仕事に対して「快適建築賞・特別賞」を受賞。 豊田市中央図書館に扉
    《ミューズ達》を制作。この作品はシエナのヴィッラ・カステリに設置された作品と同様に、後に制作するヴァチカン美術館「新しい扉」の基
    となる。
1997 巡回展「ボナノッテとデ・ミトリオ二人展」が東武美術館を皮切りに開催される。
1998 巡回展「ボナノッテとデ・ミトリオ二人展」は以下を巡回:富山県立近代美術館、高松市美術館、福島県立美術館、
    中冨記念くすり博物館(佐賀県・鳥栖市) 豊田市美術館に《綱渡り師たち―対照》と《期待》の彫刻2点が収蔵される。
    神戸・海星女学院の聖フランシスコ修道院に《十字架》と《キリスト14の道行き》を依頼され、設置する。
1999 ヴァチカン美術館より美術館新正面入口のためのブロンズ大扉の制作を依頼される。
2000 教皇ヨハネ・パウロ二世によるヴァチカン美術館の新しい正面入り口のオープニングセレモニーが行われる。ドイツ・ハノーヴァーで
行われた
    万国博覧会2000のヴァチカンパヴィリオンに出品。 イタリア共和国上院が2000年の大聖年を祝って彫刻《昇天》を教皇ヨハネ・パウロ二世に
    寄贈する。 この作品はヴァチカン美術館中庭に設置される。
2001 ハノーヴァーの万国博覧会にて発表された彫刻がベルリンの新ヴァチカン大使館の中庭に設置される。また、ボナノッテは同大使館に
    二つのブロンズ製扉「受胎告知」と「聖ペテロの招集」を制作、大使館正面入口と大使館内礼拝堂に設置される。
    「日本におけるイタリア2001」の印刷博物館(東京)主催関連企画展にダンテ「神曲」をテーマにした紙に混合技法で描いた214点の作品と
    3点のブロンズレリーフを出品する。
2002 久光製薬が佐賀県鳥栖市にある中冨記念くすり博物館にてボナノッテが描いた「ダンテ―神曲」展を開催する。
    奈良・薬師寺の松久保秀胤管主が薬師寺境内での個展のためにボナノッテを招待する。
2003 薬師寺大講堂落慶慶讃の献展としてチェッコ・ボナノッテ「生命の劇場」展が開催される。 宮崎県立美術館の一室に20点の
    連続ブロンズレリーフが設置される。
2004 ヴァチカン美術館の新しい扉の内側に設置された12人の法王と彫刻《期待―希望》がアメリカ合衆国を巡回する
    「聖ペテロとヴァチカン」展に出品する。 以下を巡回:ヒューストン自然科学美術館(テキサス)、フォート・ローダーデール美術館(フロリダ)、
    シンシナティーシンシナティ美術館(オハイオ)、サン・ディエゴ美術館(カリフォルニア)。 サンタ・クローチェ美術館、ウフィッツィ美術館、
    ヴァチカン美術館共催によるチェッコ・ボナノッテ「ダンテ―神曲」展がパッツィ礼拝堂にて開催される。紙に混合技法で描かれた作品103点が
    展示される。 複数の金属により制作されたポリマテリエルレリーフ「生命の劇場」がサンタ・クローチェ教会回廊の中庭に設置される。
2005 1997年から98年にかけて全国主要5美術館を巡回した「ボナノッテとデ・ミトリオ」展に出品された彫刻《対照》が国立国際美術館(大阪)に
    設置される。 ヒロ画廊(東京)にて個展。 システィーナ礼拝堂にて行われるコンクラーベ(時期法王選出会議)のために、3つの彫刻による
    投票箱を制作する。 チェッコ・ボナノッテ「ダンテ―神曲展」がウフィッツィ美術館の版画・デッサン 部門にて開催される。
    103点のドローイングを展示。 フランス共和国上院とリュクサンブール美術館(パリ)のためにブロンズ大扉を制作する。
2006 フランス共和国上院とリュクサンブール美術館(パリ)のために制作したブロンズ大扉が設置される。 「チェッコ・ボナノッテが描いた
    ダンテ『神曲』」展がイタリア文化会館にて開催される。 「チェッコ・ボナノッテ」展が箱根彫刻の森美術館にて開催される。
2007 「チェッコ・ボナノッテ」展がイタリア文化会館にて開催される。
2009 ヒロ画廊にて個展が開催される。
    東京麹町所在のヴァチカン大使館(正式名称ローマ法王庁大使館)内教会を設計する。また、教会内設置作品を制作する。
2010 ヴァチカン大使館内教会扉を制作する。
2011 サクラ ファミリア(カトリック大阪梅田教会)の教会内設置作品を制作する。また、意匠設計は息子で建築家の
    ピエール・パオロマリア・ボナノッテが行う。
Information
web
http://www.ceccobonanotte.net
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