日本の彫刻家、立体造形において独自の表現を追究、ユニークな造型作品を多数発表し、日本の現代美術をリードする先駆的存在として第一線で活躍している。また、美術教育家としても、後進の育成指導に尽力している。
北海道札幌東高等学校に入学、美術部に入部したが、部の顧問教師に阿部の抽象絵画が受け付けられず、退部した。友人に誘われて入部した書道部で芸術的な才能が開花した。高校時代の間、300枚の前衛的な書道作品を描いた。
1961年第16回行動展で絵画部門新人賞を受賞。翌年にはシェル美術展(東京)で二年連続の佳作賞を受賞するなど、衝撃的なデビューを果たした。この時代、豊島輝彦、米谷雄平らとともに前衛的な美術グループ展なども行っている。その後、レリーフ作品を手がけ、立体へと移行。様々な素材を使い、自由な発想による作品を発表した。 1980年代からは木彫作品も手がけ、「KI」シリーズでの黒鉛を塗ることで鈍い光を放つ独特のフォルムや、鮮やかな色彩に満ちたレリーフ状の作品群など、「オヨメサン」「ネエ ダンナサン」といった意表をついたタイトルとともに、斬新な作品を発表している。
(Wikipedia を参照、編集。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E5%85%B8%E8%8B%B1 2011/1/22))
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