クラーナハ展-500年後の誘惑

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会 期
20161015日 -  20170115
開催時間
9時30分 - 17時30分
金曜日は20時00分まで
※入館は閉館の30分前まで
休み
月曜日(ただし、1月2日(月)は開館)、12月28日(水)~1月1日(日)
入場料
有料
一般1600円(1400円)、大学生1200円(1000円)、高校生800円(600円)、中学生以下無料
※( )内は前売・20名以上の団体料金 ※心身に障害のある方とその付添者1名は無料(入館の際に障害者手帳をご提示ください) ※国立美術館キャンパスメンバーズは団体料金扱い ※前売券販売:2016年7月15日(金)~10月14日(金)
作品の販売有無
展示のみ
この情報のお問合せ
03-5777-8600(ハローダイヤル)
イベントURL
情報提供者/投稿者
開催場所
国立西洋美術館
住所
〒110-0007 東京都
台東区上野公園7-7
最寄り駅
上野
電話番号
050-5541-8600(ハローダイヤル)

詳細

展覧会内容

ルカス・クラーナハ(父、1472-1553年)は、これまでにもっとも広く親しまれ、またもっとも強い影響力を放ってきた、北方ルネサンスを代表するドイツ人画家のひとりです。見る者を魅惑してやまない官能的な女性の裸体表現で知られるクラーナハは、その一方でまた、マルティン・ルターをはじめとする同時代の著名人たちの肖像画を数多く描き残すなど、激動の只中にあった宗教改革期のドイツ社会の集合的記憶を精彩に浮かび上がらせてくれる存在です。そう、クラーナハは、すぐれた過去の証言者であると同時に、時代を超えて未来のわたしたちを魅了する画家なのです。
ウィーン美術史美術館による特別協力のもと、国立西洋美術館と国立国際美術館で開催されるこの展覧会は、そうした稀有な芸術家の全貌に迫る、日本で初めての試みとなります。
 クラーナハは、1505年頃にウィーンで画業を開始し、その後50年近くにわたって、当時の神聖ローマ帝国の政治的・文化的な中心地のひとつ、ザクセン公国の都ヴィッテンベルクで宮廷画家として活動しました。ザクセン選帝侯に仕えた宮廷画家クラーナハは、しかしそれと同じくらいに、自立した事業家として成功を収めました。この画家は、時代に先駆けて大型の絵画工房を開設し、多大な人気を博したからです。その工房をつうじてクラーナハは、膨大な絵画制作の依頼を受注し、流行の主題をさまざまに変奏して描くことで、新たなマーケットの期待に応えてみせました。その成功はとくに、彼が1510年頃に確立した宮廷的で流麗な様式に支えられていました。クラーナハは、共同制作者たちが容易に構図を複製し、また改変できるようにしたばかりでなく、蛇をモティーフとした印象深いサインによって、数多くの自作に、いねば商標を与えたのです。
 そんなクラーナハは、つねに革新者を演じつづけた画家です。アルプス以北のヨーロッパに裸体表現の発展をもたらした彼は、そのほかにも実に多彩なイメージ世界を新しく切り拓きました。そして、絵画だけでなく版画によっても展開されたクラーナハの仕事は、盟友であったルターの肖像、また彼の思想を独自に視覚化したイメージの数々が物語るように、とりわけ宗教改革への貢献において特筆されなければなりません。さらに、この画家が亡くなって以後は、同名の息子ルカス・クラーナハ(子1515-1586年)が工房を長きにわたって担い、父の造形言語を引きつづき世間に広めていったのです。

本展は、こうした多岐にわたるクラーナハの芸術の展開を詳細に跡づけるべく、長い修復作業を経て出品されるウィーン美術史美術館のよく知られた傑作《ホロフェルネスの首を持つユディト》、フランクフルトのシュテーデル美術館に所蔵される代表作《ヴィーナス》、プダペスト国立西洋美術館に収められる初期の重要作《聖カタリナの殉教》をはじめ、およそ40点あまりの厳選された絵画、そして多様な版画作品によって構成されます。いや、そればかりではありません。クラーナハの芸術の特異性を多面的に浮き彫りにするために、本展ではアルブレヒト・デューラーやルカス・ファン・レイデンといった同時代のすぐれた芸術家たちの作品を併置します。加えて、わたしたちは両家の死後、はるか未来の時間にも眼を向けたいと思います。つまり、クラーナハの絵画に刺激され、新たな追創造を行なってきたパブロ・ピカソ、森村秦昌、ジョン・カリンといった近現代アーティストらの作品を、歴史の隔たりを超えて同じ場に展示します。クラーナハという500年前の画家が生んだイメージの誘惑は、いまなお尽きることがないのです。
 ウィーン美術史美術館の所蔵作を中核とし、アムステルダム、ブダペスト、フィレンツェ、マドリード、ニューヨーク、ワシントンDCなど、欧米の数多くの都市から集められる絵画や版画、さらに日本の美術館や国立西洋美術館の所蔵作によって組織される本展は、この国ではおそらく二度と実現されえない規模のクラーナハ展となるはずです。回顧展の開催が長らく待ち望まれていた画家との出逢いを、どうかご期待ください。

Ⅰ クラーナハの若き日々は、ほとんどが闇に包まれている。この画家がようやく歴史の表舞台に登場するのは、30歳に近づいた1500年頃に、ウィーンで残した足跡をつうじてである。ハブスブルク家が築いた広大な神聖ローマ帝国の政治的・文化的な中心地だったその都市において、クラーナハは先端的な人文主義者たちと親しく交わり、その豊かな知的環境のなかで画家として頭角を現わす。そんな彼の芸術は、ほどなくして、学芸を庇護する権力者の眼を惹くことにもなる。1505年、ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公に見初められたクラーナハは、宮廷画家としてヴィッテンベルクに招かれたのである。
 のちにマルティン・ルターによる宗教改革の震源地ともなるそのヴィッテンベルクこそが、以後長らく、クラーナハのホームグラウンドとなった場にほかならない。そこでザクセン公家に仕えたクラーナハは、1508年のネーデルラント旅行の成果やイタリア・ルネサンス美術から受けた影響をきわめて独白に消化しながら、官廷人たちの趣味や信仰心に見合った作品、あるいは政治的プロパガンダに貢献するイメージを数多く生みだしていくことになる。またそればかりか、彼はみずから大型の工房を開設/運営し、息子のルカス・クラーナハ(子)や弟子たちとの協働作業をつうじて、絵画の大量生産をはかった。蛤をモティーフにした署名を「商標」代わりとし、いわば自身の芸術のブランディングに成功したクラーナハは、自立的な事業家として、まったく先駆的な営為を展開したのである。

Ⅱ ザクセン選帝侯の宮廷画家であったと同時に、戦略的な工房運営によって新たな美術マーケットを開拓したクラーナハは、実に多種多様なテーマの作品を生んだ。なかでも、この画家がもっとも得意とした形式のひとつが肖像画である。16世紀前半のドイツにあって、肖像画はいまだ新しい絵画ジャンルだった。そうしたなかでクラーナハは、宮廷画家として、また事業家として、ザクセン公家の人々、政治家、学者など、ときの権力者や著名人だちと密に交流しながら、数々の肖像を描いたのである。彼はまぎれもなく、ルネサンス期のドイツおける最大の肖像画家だった。
 そうしたクラーナハによって制作された肖像画は、描かれたモデル本人にしてみれば、一種のステータス・シンボルであったにちがいない。ただし、クラーナハはモデルの理想化や象徴化を好まなかった。この画家が描き残したのは、日々変容しゆく人々の面貌のつかのまの観察記録、また彼ら/彼女らの社会的な「顔」のドキュメントである。クラーナハの肖像画に宿る「リアリズム」は、そこにこそある。明治以降の日本の近代画家たちが、この遠く過去のドイツ人両家の肖像画から「写実主義」を学んだのも、決して偶然ではない。その意味でも肖像画は、当時のドイツでそう考えられていたように、ひとの「記憶」を後世へと保存し、伝達するイメージでありえた。実際、クラーナハが描いた女性の肖像に魅せられ、そのイメージに新たな生命を吹き込んだのは、たとえば20世紀のパブロ・ピカソだった。

Ⅲ みずからの芸術を一種の経済活動とも考えていたにちがいないクラーナハにとって、描いたイメージを不特定多数の人々のもとへ散布することのできる版画という複製媒体は、板やカンヴァスを支持体とする絵画に負けず劣らず重要なものであった。16世紀初頭のドイツにおいて版画は、概して絵画よりも実験的な表現をおこないやすい新メディアだったのである。それは画家たちにマス・プロダクションを許す技術であったと同時に、特定の注文主の趣味や意向には必ずしも拘束されない自発的なクリエーションを可能にしたのである。
 事実、クラーナハにとって版画は、彼の絵画作品にも見られる屈曲した「線」の運動-うねり、もつれ、特異なリズムを生みだすグラフィズムを、誰にも制限されることなく展開することのできるフィールドだった。しかもこの画家は、そのような自身の線の芸術を、もっばら白黒の世界にとどめはしなかった。つまり、クラーナハこそ、西洋版画史の中核をなすドイツにおいて、多色刷り木版を最初に試みた人物にほかならないのである。その多色刷り版画では、複雑にうごめく黒い線が、重くも鮮やかな色彩と小さな両面のなかで絡みあい、まったく新たな視覚世界を織りなしている。こうしたクラーナハによる多色刷りの先駆的実験は、後続する両家たちに、きわめて大きな表現の可能性を開示するものだった。

Ⅳ クラーナハの名を何よりも深く人々の記憶に刻み込んできたのは、彼がくりかえし描いた「裸」のイメージだろう。16世紀初頭のドイツに芽生えた人文主義は、イタリア・ルネサンスの影響のもと、古典古代の知を養分として異教の神話世界に対する新たな関心を形成した。ヴィッテンベルクの宮廷に身を置いたクラーナハは、詩人や学者たちとそうした人文主義的関心を共有しながら、ヴィーナス、ディアナ、ルクレティアといった異教の女神や古代のヒロインたちを「裸」で表現することに、ドイツのほかのどの画家よりも強く熱中したのである。
 とくに1530年頃からクラーナハが何度となく主題にしたそれらの女性たちは、人間のエロティックな情動やセクシュアルな欲望を問題化する存在である。このドイツ人画家はおそらく、自分白身が描くそうした女性たちのイメージに、みずからも魅せられていた。裸婦の絵を求める注文主の需要が多かったことは事実だが、それだけでは説明がつかない危うい誘惑に、画家白身が囚われてもいたはずなのだ。
 クラーナハが描いた裸婦の多くは、柔らかな曲線をなす華奢なボディーラインによって、見る者を誘う。しかし、厳密にいえば、彼女らはたいてい「裸」にはなりきっていない。その身体は、遠くからでは見えない極薄のヴェールをまとっているからである。“veil”という語が「隠す/覆う」という意味の動詞でもあるとすれば、あまりに透き通って素肌を隠さないクラーナハのヴェールは、ほとんど語義矛盾ともいうべき「ヴェール」なのだ。その覆われつつも露わな女性たちの身体は、近現代のアーティストを含む、多数の人々の欲望を刺激してきたのである。

Ⅴ 絵はひとを誘い、また惑わせる。クラーナハは、その「誘惑」の効力を、よく知っていたはずである。クラーナハの多種多様な絵画をあらためて見渡すとき、一見したところ無関係であるかに思える作品群のなかに、ある根源的なテーマが浮かび上がる。すなわち、「女のちから」(Weibermacht)と呼ばれる主題系である。たとえば、イヴの誘いに負けて禁断の果実を食べてしまったアダム。敵将ホロフェルネスのふところに潜り込み、彼を油断させることで惨殺したユディト。踊りによって王を悦ぱせ、褒美に洗礼者聖ヨハネの斬首を求めたサロメ。王女オンファレの美貌に骨抜きにされ、羊毛を紡ぐはめになった豪傑ヘラクレス。娘たちに酔わされ、近親相姦をおかしてしまったロト……。そう、ヨーロッパの美術史や文化史における「女のちから」とは、女性の身体的な魅力や性的な誘惑によって男性が堕落ないし破滅に陥る物語のことをいう。それは古代神話、旧約聖書、新約聖書、より世俗的な寓話など、実に広範な源泉のなかから見出される「誘惑」の類型的イメージにほかならない。
 クラーナハは、こうした「女のちから」というテーマを、みずからの芸術の根幹をなすものとして選びとり、くりかえし描いた。もちろん、それらの絵画には教訓的な意味合いが込められていた。「女のちから」には気をつけよという、男性に対する戒めである。だが、ほんとうにそれだけだろうか。問題はあくまでも、クラーナハの絵そのものが、それを見つめる者を誘惑しかねないだろうということだ。ここでの「女のちから」とは、そのような彼の絵画が放つ「イメージのちから」のことである。

Ⅵ 1517年-ということは、日本初のクラーナハ展となるこの展覧会よりちょうど500年前のこと、ドイツはヴィッテンベルクに暮らすひとりの神学者が、ローマ教皇の腐敗を批判するラテン語の文書を発表した。マルティン・ルターによる『95ヶ条の論題』である。マインツ大司教アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクの政治的な思惑とも絡み、当時のドイツで盛んに販売されていた贖宥状に疑問を抱いたルターは、それを購入することによって煉獄の霊魂の罪が贖われるという教皇側のふれ込みは欺瞞であるとして、神学論争を仕掛けたのだった。その後に『95ヶ条の論題』はドイツ語に訳されて世間に広まり、それが契機となって本格的な「宗教改革」がはじまる。イタリア・ルネサンスの人文主義、ヨハネス・グーテンベルク以後の活版印刷術とも連動しながら、ルターに端を発する宗教改革は、ヨーッパを「近代」のとば口ヘと向かわせることになったのである。
 同じくヴィッテンベルクで活動したクラーナハは、ルターときわめて近しい間柄にあった。単にプライヴェートな親交を重ねたばかりでない。この画家はルターの思考を独白に視覚化した絵画や版画を生みだすことで、彼と高度な共闘関係を結んだのである。とはいえ、クラーナハは自身の作品をつうじて、ルターの神学を単にわかりやすく図解したのではない。彼はむしろ、描くことで新たな思想を語り、描くことによって社会変革の一端を担ったのである。クラーナハはルターの肖像画を何度も手がけることで、その「顔」を社会に知らしめ、さらにはそれまでのキリスト教図像学には存在しなかったイメージをみずから創出することで、いわな芸術の宗教改革をおこなったのであ
る。

主催・協賛・後援

主催:国立西洋美術館、ウィーン美術史美術館、TBS、朝日新聞社
後援:外務省、オーストリア大使館、BS-TBS、TBSラジオ、J-WAVE
特別協賛:大和ハウス工業
協賛:大日本印刷
協力:オーストリア航空、ルフトハンザカーゴ AG、日本通運、西洋美術振興財団

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